札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第七章 高度成長期の市民生活と社会運動の展開

第五節 高度経済成長期の市民生活

三 札幌市民としてのアイヌ民族

 農漁村を離れ、札幌市へ仕事と新しい生活を求めて集まった同胞(ウタリ)が、札幌(はじめ石狩)支部(初代支部長・小川隆吉)を結成したのは、四十六年十二月十二日、札幌市民会館で開かれた「ウタリ協会石狩支部結成会へのおさそい」によるものである(北海道ウタリ協会札幌支部 支部結成10周年記念)。北海道ウタリ協会では、札幌在住ウタリの人々が抱えている生活上の切実な問題を解決するために、五十年、ウタリ実態調査を札幌支部会員が調査票を持って戸別訪問の形で実施した。『報告書』(昭51)によれば、おおよそ次のようであった。
 (移動の時期・人口構成・出身地) 全部で調査世帯は一五四世帯(四五三人)にのぼった。世帯主の札幌居住時期について年別にみると、昭和二十年以前五人、二十一~二十九年五人、三十~三十九年三〇人、四十~五十年八三人という具合で、三十八、四十、四十六年にピークを迎えている。これは、札幌市の人口が流入人口によって増加した時期とほぼ一致している。世帯の人口構成では、一五歳未満三二・四パーセント、一五~四九歳六〇・一パーセント、五〇歳以上七・五パーセントと、働き盛りが多いこと、しかも単身世帯が二六・二パーセント、母子世帯が七・八パーセントを占めるといった特色を持っていた。さらに、調査世帯一五四世帯のうち出身地が判明した一四六世帯主の内訳をみると、日高支庁管内五三人(三六・三パーセント)、石狩支庁管内三二人(二一・八パーセント)、胆振支庁管内一四人(九・六パーセント)、空知支庁管内・道外各一三人(各八・九パーセント)、釧路支庁管内八人(五・五パーセント)、後志支庁管内四人(二・七パーセント)、十勝支庁管内三人(二・一パーセント)、渡島・上川・網走支庁管内各二人(各一・四パーセント)となっていた。これらの人々は必ずしも出身地から直接札幌へ転入したとは限らず、一旦札幌以外の市町村を経由している場合が多いのも特徴である。
 (職業と収入) 世帯主の職業別構成では、被雇用者が最も多く九八人(六八・六パーセント)、ついで自営業が二九人(二〇・二パーセント)、無職・失業中一六人(一一・二パーセント)であった。被雇用者の内訳をみると、技術工員、工員(店員)、会社員、公務員、サービス業従業員の順である。また、自営業では木彫業、工芸・作家・造形家、土建業、商店、塗装業、石材業、造園業、不動産業と続く。世帯の収入では、五十年度の場合、一〇~一二・五万円が二五パーセント、一五~二〇万円未満が一八・七パーセント、二〇万円以上一六・四パーセント、一二・五~一五万円未満が一〇・二パーセント、七・五~一〇万円未満が九・四パーセント、五~七・五万円未満が七パーセント、二・五万円未満が〇・八パーセントであり、無収入が一二・五パーセントと高率を示していた。一世帯平均収入は、一二万五八四七円で、単純に比較できないとしても、札幌市のそれが二二万六六七一円(北海道家計調査 昭50)であることから、ウタリ世帯の生活が低位に置かれていることが分かる。なお、生活保護の世帯保護率においては、一三一・四パーミル(千分比)にも達し、札幌市のそれが二五・三パーミル(昭51・5)であることから保護率において高い率を示している。生活の安定を図るために札幌に来てみても適職を得られず、貧困と就職難にあえいでいる人々が多かったといえる。
 (住宅・教育環境・その他) 住宅の所有関係では、借家が五三・一パーセント、間借りが三〇・五パーセントで、持家は一六・四パーセントに過ぎない。最終学歴は、義務教育のみを終了した人が全体の七四・二パーセントを占め、それ以上の人は一九・四パーセントと少ない。進学希望調査では、事情が許せば、高校・大学までの希望者合わせて八七パーセントにも及んでいる。
 アイヌ文化の保存については、「保存すべきである」と考えている人は、九〇パーセントにも及び、文化保存の意識は強い。アイヌ民族に対する差別があったと意識している人が多く、特に「子供の時」差別を受けたと答えた人が多く、七六・六パーセントにも及んでいる。さらに、「現在、社会から差別を受けている」と答えた人が、全体の六八・四パーセントにも達していることは、戦後になっても民族問題についての問い直しが遅れた結果でもあるといえる。なお、札幌市生活館(白石区本通)が完成したのは五十四年一月のことである(北海道ウタリ協会札幌支部 支部結成10周年記念)。