札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第七章 高度成長期の市民生活と社会運動の展開

第五節 高度経済成長期の市民生活

三 札幌市民としてのアイヌ民族

 敗戦まもない昭和二十一年二月二十四日、日本の民主化を背景に、アイヌ民族有志の自主的な呼びかけにより、静内町で社団法人北海道アイヌ協会の創立総会が開かれ、道内各地の代表をはじめとする約七〇〇人のアイヌ民族のほか、北海道庁や北海道大学などから多数の来賓の参加があった。三月十三日、正式に社団法人北海道アイヌ協会(以下アイヌ協会と略)として認可された(北海道ウタリ協会 50年のあゆみ 平8)。
 ところで、アイヌ協会の定款(昭21・3・26登記)によれば、総則で「本会ハ社団法人北海道アイヌ協会ト称ス。本会ハアイヌ民族ノ向上発展、福利厚生ヲ図ルヲ以テ其ノ目的トス。本会ハ事務所ヲ札幌市ニ置キ各所ニ支部ヲ置ク」と、目的を明確にしていた。札幌市にアイヌ協会活動の拠点を置いた理由は、全道会員への伝達を図るのに機能的役割をもっていたからである。目的を達成するための事業として「教育ノ高度化」「福利厚生施設ノ協同化」「共有財産ノ醸成及其ノ効果的運用」「農事ノ改良」「漁業ノ開発」「其ノ他右ニ関連スル一切ノ事業」の六項目を掲げていた。これらのなかで、「教育ノ高度化」を一番目に掲げているのは、アイヌ協会の『昭和二十二年度事業計画書並に昭和二十二年度収支予算書』のなかで、「ウタリが文化民族として世界水準に達するためには子弟の教育」が重要であり、将来は学界・実業界・政界・その他各分野にアイヌ民族が輩出することへの願いが込められていたことが知られる。なお、アイヌ協会の機関誌として『北の光』創刊号が、二十三年十二月十日刊行され、奥付の住所には「札幌市北二条西五丁目六番地」となっていた。『北の光』の発刊目的は、札幌市の本部から各市町村の支部への「指導連絡」手段であったと思われる。
 アイヌ協会は、二十一年設立以来二十三年にかけて精力的に、国や北海道庁に対して「北海道旧土人保護法」(以下「保護法」と略 明32・3制定)の改正やアイヌ民族の給与地に関しては、農地改革法の適用外農地への請願・陳情を繰り返し行った。特に、二十二年十二月付の「北海道アイヌ民族所有農地ニ関スル嘆願」では、「請願ノ要旨」として「北海道アイヌ民族ノ所有ニシテ其面積五町歩以内ノ農地ニ対シテハ、自作農創設特別措置法、並ニ、農地調整法ヲ適用セヌ様、立法措置ヲ講ゼラレタキコト」との文言があり、適用した場合にはアイヌ民族が犠牲となってますます貧困生活から脱却出来ないこと、この現象は社会問題であり、人道上の問題であって「保護法」の精神に反すること等を強く訴え、適用外の措置を請願した(社団法人北海道アイヌ協会代表=向井山雄よりダグラス・マッカサー元帥宛文書 北海道ウタリ協会 アイヌ史 資料編3所収)。このため、二十三年までアイヌ協会の幹部は陸続と上京し、請願運動を行った。しかし、アイヌ民族の期待に反して結局のところ、一旦は保留していた買収計画は、北海道庁農地部から「旧土人の給与地と雖も一般同様取り扱え」といった、市町村農地委員会宛通牒により、一気に買収が断行され、同年六月現在、全道の給与地総面積五八四二町歩余のうち農地改革法による買収地の給与地は総面積に対し二三・八パーセントを占め、これに回収見込み不能貸付地は同総面積に対し一七パーセントの割合を占めたことから、両地合わせて四〇・八パーセントを喪失する結果となった(北の光 創刊号)。二十三年のアイヌ協会総会以後、記録に残るような活動はほとんど見られないまま、三十五年四月、札幌市内水産会館における「再建総会」に至る。翌三十六年度の総会では、「協会名称の『アイヌ』は民族の差別意識を深める憾(うら)みがある」(昭和三十六年度北海道アイヌ協会総会記録 同前 北海道アイヌ協会北海道ウタリ協会活動史編)といった理由から「北海道ウタリ協会」に名称変更した。やがて、三十八年には、機関誌として『先駆者の集い』創刊号が刊行されるに至る。これについては、北海道ウタリ協会アイヌ史 北海道アイヌ協会北海道ウタリ協会活動史編』に詳しいので参照されたい。『先駆者の集い』創刊号を刊行した三十八年には、会員数は四二〇人に過ぎなかったが、第2号刊行の四十六年十月には、会員数一万一一七人に増加し、三四支部・七支庁四市へと広がった(社団法人北海道ウタリ協会『50年のあゆみ』(平8)によれば、平成八年一月一日現在、会員数四一四二世帯、一万五八八二人、五七支部をもつ、アイヌ民族最大組織である)。
 民族の復権過程で、民族文化の学術的再評価が行われ、アイヌ民族出身のアイヌ語研究者知里真志保(当時北大講師)が二十四年、北海道新聞社より「道新文化賞」を受賞、やがて二十九年、知里は博士号を授与された。それに続いて三十一年、知里の伯母で、ユーカラ伝承者の金成マツ(まつ)が、国の無形民族資料保存者として選定され、記録を作成・保存することになった。これが、金成まつ筆録・金田一京助訳注『アイヌ叙事詩ユーカラ集』Ⅰ~Ⅷ(昭34~43)として完成する。