札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第七章 高度成長期の市民生活と社会運動の展開

第五節 高度経済成長期の市民生活

二 女性団体の発展と変貌

 『札幌市史』(文化社会篇 昭33)の「女性文化」に一二五女性団体の名簿が掲載されている。表28(昭26)と異なるのは、宗教的な団体の支部六、桑園六、菊水五の他、白石町一五、厚別町八、琴似町一五、苗穂・丘珠方面六など農村部の地域婦人会の増加である。約八〇記載された地域婦人会の設立年は二十六年以降が四六、かつ三十年が一八である。また『札幌婦協』第一七号に三十三年七月初めの市婦連協加盟三四団体の一覧がある。団体の性格は宗教的なもの五、同志的なもの七、地域的なもの二二で、『札幌婦協』各号の紹介によって結成契機の特徴的なものに、北円山婦人会(土曜会改め)が六三制教育の問題、白百合母の会が小学校PTA鉄北平和婦人会が保育所設置運動(昭30・6北光地区保育所設置請願の結果、翌年十二月にみかほ保育園開設。九期小史)などがある。これら地域婦人会の中で豊平婦人会連合会幌西婦人会は、会員が多く活動は広範囲で広報にも力を入れ、注目された。
 豊平婦人会連合会は三十一年結成され、会長は戸津夫佐子である。前身は豊平主婦の会で、二十四年に戸津の家で一五人が始めた勉強会であった。笠巻キク(豊平小)を講師に新学制の小学教科書(一~六年の国・社・数・理)を週一回一年がかりで読み終えた後も、「子どもと話し合える母親になろう」を合言葉に月一回の会合を開き、新聞の読み方や市政の勉強もした。また当時の会員七〇人のうち日赤奉仕部を中心に、中島公園近くの札幌育児園へ、月一回つぎ物などの奉仕活動を約七年継続した。並行して共働き家庭の子どもの校外生活の拠点作りをめざし、五年がかりで豊平・菊水地区境界に、やよい児童会館を設立した。会員の物資販売・映画会活動などの資金を呼び水に、市立病院解体の古材による建設だったが、三十一年十二月開館当時、「婦人の手で作った全国唯一のもの」と注目され、四十一年市に移管するまで運営奉仕にあたった(ばら飾り、ばら愛する人とあゆんで 北海道を探る19 平2)。

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写真-7 豊平主婦の会の育児園奉仕(昭和26年頃)

 この後豊平一八区に区ごとの婦人会結成を働きかけ、豊平婦人会連合会は二〇〇〇人の会員で発足した。会は「婦人会員としての教養を昻め家庭生活の改善向上、青少年の健全育成、地区の保健衛生福祉交通安全に協力」を目的とし、日赤奉仕部・母子部・教養部・レクリエーション部・生活部・広報部・庶務部を設けて、婦人学級・バス旅行、やよい児童会館運営資金手伝いと奉仕、住民健診・清掃・敬老会などに取り組んだ(十五年のあゆみ)。市の婦人学級(昭33開設)を最初に設置した四カ所のひとつでもある。なお戸津夫佐子の舅(しゅうと)・戸津高知は北海中学校の校長で、姑(しゅうとめ)・みことは愛国婦人会・日赤奉仕部などの豊平の責任者を務め、ともに長く社会事業に尽くした。
 幌西婦人会は、市電西線から伏見にかけての新興住宅地帯約四〇〇〇世帯に親睦・協力を呼びかけ、三十一年発足した。庶務・教養・社会の三部をもち、三十三年から機関紙も発行した(札幌婦協 第一七号 昭33・8)。会長の後藤まさが、出張所長に頼まれ世話人として呼びかけたところ、入会申込みは一二二八人、設立総会に二〇〇人が集まった。毎月の老人ホーム慰問、衣料品交換会、北電講師の「やさしい電気教室」、出張所の二階広間を会場に特技のある会員が講師になって、和裁・習字・いけ花・お茶・コーラス・点字などのサークル活動はまさに「ミニ文化教室」で、地方から見学にくるグループもあった(道新 昭57・6・17)。後藤は体育教師として一〇年余の勤務歴をもち、当時は民生委員でのち消費者運動に活躍した。