札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第七章 高度成長期の市民生活と社会運動の展開

第五節 高度経済成長期の市民生活

一 変わる市民生活・衣食住

 食生活だけでなく、生活全般にわたって大きく変わったが、先駆けになった家事の電化、マイカー事情などについてみておく。
 (1)家電製品 家電製品の普及による台所革命は三十年代に目覚ましく、三十年十二月に自動電気釜(自動炊飯器)が発売されると主婦たちの圧倒的な支持を得た。スイッチひとつでご飯が炊ける電気釜は、「かまど」から女性を解放した(写真5)。三十二年にはテレビ・電気冷蔵庫・洗濯機の家電製品が発売され当初は「三種の神器」と呼ばれ、高額であこがれの的であったが、競って月賦販売で購入されるようになった。なかでも電気洗濯機は主婦の家事労働を一挙に軽減・合理化した。家電製品普及率は急速に上昇し、九年後の四十一年十二月には、全道平均で電気洗濯機八四・五パーセント、電気釜六六・八パーセント、電気掃除機五八・六パーセント、冷蔵庫五〇・一パーセント、トースター五三・八パーセント、ガスレンジ四二・一パーセント、ミシン八九・五パーセント、石油ストーブ五三・九パーセントとなった(昭43道年鑑)。三十九年には東京オリンピックをきっかけにカラーテレビ受信も普及した。

写真-5 電気釜の広告
(道新 昭33.9.21)

 (2)マイカー事情 三十五年になるとマイカーブームの兆しが現れた。札幌陸運局の同年六月末自動車全道統計によると、一年前に比較して小型乗用車(ダットサン・コロナ級)が六割増えて四八〇〇台、軽自動車(スバル・マツダクーペ級)が四一〇〇台となり四倍に増えた。メーカー間の競争により、新車で三〇万円台と価格が下がり、自動車の需要層が広がってきたことによる。また、テレビ・冷蔵庫の普及が一巡し関心が自動車に移り始めていたことは、市内中の島自動車学校の定員六〇〇人のうち一割を女性が占め、結婚前の自動車免許取得であったり、医者や商店主の夫の送迎が取得目的であったことにも現れていた。自家用車は特に住宅街で開業している医者にとって往診に間に合わせるために必需品とされ、無理をしてでも買ったという。三十五年の道内の新免許証取得者は毎月六〇〇〇人を数えた(道新 昭35・8・29)。三十八年三月に市内の所有者台数が四万二六〇〇台になり、十一月には三割増えて五万五〇〇〇台と三世帯に一台の割合となり、新しい商売として貸しガレージ業も出現した(道新 昭38・12・6)。人口も増加したが、四十七年には市内の乗用車・軽自動車の数も一〇万八五〇〇(うち、登録タクシー四七七三)台に増加し、約三世帯に一台の所有は変わらなかった(市統計書)。近くの公衆浴場に行くにも自家用車で行くケースも見られたが、それは市内の民営借家に「浴室あり」の住宅が五〇パーセントを越えるのが、四十八年になってからという、住宅事情からくるものであった(札幌市の人口と住宅―昭和50年国勢調査報告)。
 (3)「リトル東京」 三十五年五月には東京と札幌(千歳)間にジェットプロペラ機が就航した。当初は三往復で片道所要時間は二時間十五分であったが、二十六年から就航していたプロペラ機に比べると大幅に時間短縮された。その後さらにジェット化が進んで東京と札幌間の距離が縮まり、本州の会社・商社が相次いで札幌に進出して人とモノの流れが激しくなった。三十八年頃になるとマスコミは、「東京都札幌区」とか「リトル東京」と表現し始め、三十九年には「札チョン族」と呼ばれる本州からの単身赴任社員も目立つようになった(道新 昭39・1・4夕)。
 東京-札幌間が二時間の直行便で結ばれたことから、気候にひと月の差がある東京と札幌に、ほとんど同時に同じ洋服が流行し始めた。冬でもスカート・ストッキングスタイルが多くみられるようになり(道新 昭38・2・5)、札幌のデザインコート服が東京で製作され、逆に札幌に移入されてくるようになった。「札幌には地方色がない。あまりに東京と似すぎている」という指摘が多くなり始めたのもこの頃からであった。
 モードばかりではなく、東京銀座の商社三六店がHBC三条ビル(南3西2)に銀座名店街を出店、ネクタイ一本六〇〇〇円などの高級品を販売したところ、「札幌のような田舎で売れるわけがない」との批判をよそに、札幌だけでなく道内各地から買い物客が訪れた(道新 昭38・2・3)。東京の商品や流行を直輸入する札幌を「リトル東京」視する例はその後も増えていくばかりでなく、三十八年に設立された「北海道都市社会学会」(会長・北海学園大学教授池田善長)などによって、家計や消費動向、流通・販売、人口構成など社会・経済にわたって都市が持つあらゆる要素や機能を、日本の首都東京と比較し、北海道の中心都市としての札幌にふさわしい個性を持つべきであるとの指摘も一層強くなった(道新 昭39・1・1)。