第九編 大都市への成長
第七章 高度成長期の市民生活と社会運動の展開
第一節 講和条約発効から高度成長期の社会問題
二 平和と社会運動(1)
三十三年九月、藤山・ダレス会談を経て、占領下に結ばれていた日米安全保障条約の改定交渉が本格化した。日本の自衛力強化と日米経済協力を柱としたものであり、革新勢力は、同条約は軍事同盟の性格を持ち、日本の軍国主義化を進めるものとして、新安保条約に反対の意思を示した。
三十四年三月二十六日には、全国にさきがけて安保体制打破道民会議が全道労協や社会党道本部を中心に三五団体により組織された。三十五年(一九六〇)五月二十日には、国会安保強行採決に対する抗議デモが市民二万人を集め、運動が一般市民にも広がった。六月十五日には、自民党道連前で抗議デモが行われ、学生ら二五人が負傷した。翌日は、東京の女子学生・樺美智子死亡に抗議する集会が開かれ、主婦層の参加もみられた。道民会議は、ゼネストを提唱し、連日、一般市民を含めたデモを行い(写真1)、市電は停止し、札幌最初の三二列のフランスデモが行われた。十九日には、岸内閣退陣要求大集会が大通公園広場で開催された。 ![]() 写真-1 安保阻止抗議行動(道新 昭35.5.20夕)
その後、運動は下火となったが、十月十二日の浅沼社会党委員長暗殺に抗議する集会が道庁前広場で五〇〇〇人を集めて開催された。安保阻止闘争には、一般市民が参加したことに特徴があった。反安保運動は鎮静化したが、その後、公害反対や平和運動のために一般市民が取り組む住民運動のさきがけとなった。 |