札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第七章 高度成長期の市民生活と社会運動の展開

第一節 講和条約発効から高度成長期の社会問題

一 多様化する社会問題

 二十四年九月に米軍・日本政府によって解散させられた在日本朝鮮人連盟の人々は、朝鮮戦争休戦後の三十年五月二十五、六日に、東京の浅草公会堂で、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を結成した。北海道の元朝連の幹部も、これに参加し、朝鮮総連北海道本部を発足させ、活動を開始した(朝鮮社会運動史事典)。朝鮮総連が積極的に取り組んだのは、日本政府の生活保護削減反対、外国人登録の際の指紋押捺拒否であり、ついで祖国の建設に取り組む帰国運動であった(三十四年八月、送還協定が両国赤十字社間で調印された)。
 朝鮮戦争休戦後も、朝鮮総連の人々は、無国籍状態におかれたが、三十八年十月九日、朝鮮民主主義人民共和国は、「朝鮮民主主義人民共和国国籍法」を公布・施行し、在日朝鮮人の国籍取得を保障した(朝鮮人強制連行の記録 北海道・千島・樺太編)。また朝鮮総連北海道本部は、三十六年四月に北海道朝鮮初中級学校を市内南郷(現白石区)に創立し、四十三年十二月に学校法人北海道朝鮮学園の認可をうけた。続いて四十六年十月には、創立一〇周年記念として市内平岡(現清田区)に校舎を移転・新築した(学校法人北海道朝鮮学園北海道朝鮮初中高級学校 学校案内)。これより先の四十年八月、朝鮮総連幹部が密入国の疑いありとの名目で逮捕される事件が起こった(北海道・進歩と革新の運動史年表)。また四十七年一月には、札幌冬季オリンピックに来日した朝鮮民主主義人民共和国選手団が、国名呼称問題で、組織委員会に厳重抗議した(道新 昭47・1・23)。
 一方、朝鮮総連北海道本部と並立する韓国居留民団北海道本部は、昭和三十年代以降、組織整備と活動を活発化し、そのために三十四年六月、札幌支部を北海道本部直轄とした。翌三十五年六月、手稲町(現札幌市)平和の滝に「韓国人殉難者慰霊碑」を建立し、十月に本部事務所を移転(南2西4)、十二月には北海道韓国学園を開校した(北海道韓国民団史)。四十年十二月の日韓基本条約調印により、翌四十一年駐札幌韓国総領事館が開設され、「日韓地位協定」にもとづく在日韓国人の永住権申請運動が、居留民団により、四十一年から四十五年にかけて展開された(申請期限は昭46・1・16)。四十五年末現在の道内在住韓国及び朝鮮の人々は七七〇二人、札幌市在住は一八一三人であったが(北海道統計書)、うち北海道内では四六七四人、札幌市内では一二五一人が永住申請を行った(北海道韓国民団史)。
 四十六年頃から、民団内部における反主流派の活動が活発化した。四十七年五月、民団は全国地方団長会議で反主流派の「韓青、韓学同の傘下団体取消」を決議し、七月七日、中央委員会でも正式決定した(同前)。この間の四十七年七月四日、韓国と朝鮮民主主義人民共和国の統一に関する基本原則「七・四声明」(南北共同声明)が、ソウルと平壌(ピョンヤン)で同時に発表された。その直前に民団から排除された反主流派は、八月二十日、民族統一協議会を発足させた。その後、「七・四声明」にもとづいて発足した南北調整委員会は数回開かれたが、統一に関する具体的合意をみないまま、翌四十八年に東京で起きた金大中事件(キムデジュンじけん)などで中断となった。