札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第六章 戦後の市民生活と社会運動の展開

第六節 占領期の衛生と医療

三 医療機関・団体の再編成

各種病院の動向

 二十三年に急性伝染病が終息し、円山病院の患者が減少したことから、市では同病院施設の有効利用と慢性的不足の結核病床補充などを目的に、新病院を円山病院内に併置して同年十一月に開設、厚生病院と称した。職員は円山病院職員が兼任した。二十五年には棟続きの円山病院(西南側・五〇床)と厚生病院(東北側・七〇床)とを分割し、二十七年五月には厚生病院に手術室を完備して結核病院に変更した(昭27事務)。
 厚生病院は三十二年に円山病院を吸収した後、外科などの専門診療科を新設し、一〇〇床を超える総合病院体制となった。三十三年になると伝染病や結核による死亡者が減少、代わって脳出血やがんなどの「老人病」(現在の成人病)問題が浮上したことから、市では「老人病対策重点主義」(道新 昭33・11・3)を方針に据え、厚生病院を付属病院にして養老センターへの転換を図り、そのため結核患者は市内の国立病院等へ転院させ、三十六年八月には市の機構改革により、厚生病院は市立札幌病院に機構上吸収して、市立札幌病院への一元化を実施した。厚生病院の名称を廃止し市立札幌病院円山分院と称し、東米里診療所(昭31開設)を円山分院所属とした。その後四十三年には市立札幌病院に隔離病舎が完成したことから円山分院と東米里診療所は完全に廃止され、市立病院は市立札幌病院のみとなった。厚生病院の跡地には、三十五年から市内唯一の老人保護施設「長生園」(菊水西町)が移転を開始し、翌三十六年度に近代的養護老人ホームが完成した(公報 昭34・9・1、37・4)。