札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第六章 戦後の市民生活と社会運動の展開

第六節 占領期の衛生と医療

二 公衆衛生行政のスタート

 戦後の性病進駐軍の移駐とともに拡大した。占領軍は覚書「性病対策に関する件」(昭20・10・16)を出し、性病対策の強化や医療機関の整備を政府に要求した。これに対し「花柳病予防法特例」の制定により全性病患者に届け出義務を課した。一方で、GHQは日本女性の人身売買を禁止する「日本ニ於ケル公娼制度廃止ニ関スル件」(昭21・1)を出し、翌二月の「娼妓取締規則」(明33制定)の廃止により公娼制は形式的に廃止されたが、占領軍相手の街娼は増加し性病は「亡国病」と呼ばれるほど蔓延し始めた。
 二十一年、笠井義男札幌保健所長(昭23市立保健所長)は北海道軍政部に呼びつけられ、売春従業婦一〇人を収容し監視できる性病院を設営するよう命令された(北海道保健所長会二十年史)。二十二年八月に、公娼制度時代からの性病検査所である市立診療院(昭13設置 南6西5)を北海道が借上げて薄野病院と称し(昭24市へ再度移管)、同院への売春従業婦の強制入院を命令し、健康診断・治療を行い診断書を携行しない者の売春を禁止した。
 二十一年四月の公娼制廃止後は定期的な強制検診を実施できず、網の目からこぼれ落ちる性病患者への対策は、新たに二十三年七月公布の「性病予防法」によって実施した。同法の特色は、①性病患者を診察した医師の届け出義務、②接触者を調査できる(コンタクトトレーシング)、③性病患者に強制治療・強制入院を命じることができ、治療費の支払困難な患者は都道府県が代わって負担できる、などが盛り込まれた。表34は同法に基づく届出件数によるもので実態は統計数の数倍が潜在しているとみられる。
表-34 性病患者数・罹患率比較(人口10万人対)

種別

札幌市北海道全国
患者罹患率患者罹患率患者罹患率
昭221,376530.014,032364.2402,734515.7
 23
 
2,537
(1,601)
942.0
 
17,987
 
446.3
 
473,822
 
592.3
 
 24
 
2,416
(1,469)
858.6
 
17,087
 
409.0
 
386,990
 
473.3
 
 25
 
4,827
(4,149)
1,537.9
 
19,662
 
457.7
 
316,044
 
379.9
 
 26
 
3,426
(2,996)
1,055.9
 
19,169
 
446.3
 
271,024
 
320.5
 
 27
 
3,691
(3,247)
1,078.5
 
18,991
 
432.8
 
244,315
 
261.3
 
 28
 
3,179
(2,792)
895.8
 
16,353
 
359.2
 
191,856
 
220.4
 
 29
 
2,897
(2,547)
780.9
 
13,809
 
296.4
 
184,115
 
208.5
 
 301,320309.410,941229.1167,950188.1
 311,906428.711,541238.5144,273159.9
 321,218263.17,421151.5106,447116.9
 331,516316.92,24845.138,32441.7
 3531960.81,55930.919,08620.4
 3825636.365612.810,15410.6
 4116820.21,47628.418,07118.2
 市要覧,札幌市中央保健所『衛生統計年報』第5巻(昭29),『札幌市衛生年報』(昭36,41),『北海道衛生統計年報』(昭48),全国は『伝染病統計』(厚生省統計情報部)より作成。
1.性病の内訳は,梅毒・淋病・軟下性下かん・そけいリンパ肉芽腫症。
2.札幌市の下段( )は女性で内数である。

 性病の発見は自発的に受診する以外には、「狩り込み」と称し、保健所職員らが従業婦を対象に強制的に連行し検診と治療を実施した。二十一年秋の大通公園での「狩り込み」では、三十余人の女性が連行・治療されたが、その後二十五年、厚生省指令により強制検診による診断書等の発行は禁止となった(北海道保健所長会二十年史、昭25事務)。
 性病予防は初期保健所の重要な業務となり、二十四年には市保健所性病予防係性病診療所を併置し、道立治療院(札幌市白石町)、薄野病院とともに週当たり従業婦一〇〇〇人を検査したが、一般人にも性病が拡大し始めた。性病のピークは二十五年の約五〇〇〇人で六月の朝鮮戦争が契機である(表34参照)。米軍オクラホマ騎兵一個師団約一万人が千歳に進駐し、米軍対象の風俗営業店が乱立、全国から約三〇〇〇人ともいわれる従業婦が集まった。千歳から薄野に米兵が流れ込み、二十六年の札幌市内の街娼は約一一〇〇人と推定された(北海道保健所長会二十年史)。二十五、二十六年は市人口の一〇~二〇パーセントが罹患し、その数は北海道の約三倍、全国の四倍という高さであった(表34)。患者の約九割は女性で、感染源は接客婦以外は夫から感染したケースが二番目に多くみられた。市保健所では青年層に拡大し始めたため、予防教育として不必要な羞恥心にとらわれ放置しないよう職域集団検診の普及を図り、「結婚時の結納には血液検査証明書を必ず加える」ようにと市広報や新聞・ラジオで性道徳の確立を訴えた(市衛生年報第3巻)。
 占領終結を迎える直前の米兵の性病届出数をみると、二十七年一~四月の期間、総数は二一〇人(梅毒一四人・淋病一五〇人・軟化性下かん四六人)であり、同年、コンタクトトレーシングによる米兵接触女性のうち三二〇人を検査すると一割(二九人)が性病罹患者(梅毒二人、淋病二一人、軟下性下かん六人)であったため、強制治療がなされた(市衛生統計年報第2・3巻)。特効薬のペニシリンは二十一年半ばには北大と興農公社の共同開発により製造・販売されており、ペニシリンの使用により次第に治癒する率も増えていった(道新 昭21・4・6)。二十四~二十九年の梅毒による死亡者は各年二九人が二三人(全道の約一割強)と減少した。
 三十三年以降は売春防止法施行により業者が水面下に潜ったため性病患者の発見も減少したが、患者減少の要因は米国駐留軍の三十二年空軍撤退と、続く三十三年真駒内基地閉鎖の影響によると考えられる。二十五年五〇〇〇人であった患者が三十五年以降は三〇〇人台に激減する。薄野病院ほか道内五カ所の道立性病院は、その後売春防止法の施行とともに自主検診の患者が減少し、三十三年には利用者が一般疾病へ逆転したことからこれらを閉鎖し、三十四年一月以降は代用性病院の委任制度に切り換えられた。札幌市内は薄野病院が閉鎖され、市立札幌病院ほか三婦人科医院が指定となり、売防法違反容疑者の釈放時に検察当局の許可を得て健康診断を行うことになった(タイムス 昭33・10・10夕、昭35市衛生統計年報 11巻)。数値に表れる患者が減少する一方で、毎年二〇人近い女性が梅毒で命を落とす時代が三十年代後半も続いたことは、潜在罹患者の多さを語っている。二十年代の性病蔓延は戦争が落とした伝染病だが、四十一~四十七年に緩い曲線で再度増加するのは、高度成長期の好景気を背景にした薄野歓楽街の成長と性産業の隆盛による影の部分である。