札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第六章 戦後の市民生活と社会運動の展開

第四節 女性の解放と社会進出

一 女性議員の誕生と公職への進出

 二十二年の道議会議員選挙に、小樽と函館から女性が立候補したが当選はしなかった。最初の女性道議は二十六年、北教組小樽支部長から立候補した井口ゑみである。同年札幌から立った女性候補は落選した。
 札幌から初めて道議会に進出したのは三十四年、前市議の竹村マヤと前北海道教育委員の水島ヒサである。表27のように、女性道議として竹村は一期、水島は三期務めた。井口は全国に先がけて無利子無担保の貸付・母子金庫の創設に尽くし、竹村は許士と協力して札幌の婦人会館設立に尽力し、水島は北海道百年記念事業特別委員会副委員長となって北海道開拓記念館構想(昭46開館)に貢献した。
表-27 北海道議会の女性議員
選挙年定数議員氏名(選挙区・政党)
昭2693井口ゑみ(小樽・社会)
 30井口ゑみ(小樽・社会)  山元ミヨ(小樽・民主)
 3499水島ヒサ(札幌・社会)  竹村マヤ(札幌・自民)
山元ミヨ(小樽・自民)  井口ゑみ(小樽・社会)
 38103水島ヒサ(札幌・社会)  山元ミヨ(小樽・自民)
井口ゑみ(小樽・社会)
 42105水島ヒサ(札幌・社会)  佐藤八重子(札幌・自民)
山元ミヨ(小樽・自民)  井口ゑみ(小樽・社会)
畑野スミ(桧山・自民)
 46105渡辺和歌子(札幌・社会) 山元ミヨ(小樽・自民)
『北海道の選挙』より作成。

 この間北海道に、超党派の婦人議員協議会が結成された。二十五年五月三日の憲法記念日に、全道市町村議会議長が女性議員の座談会を開き九人が出席したが、札幌の議員は参加しなかった(道新 昭25・5・4)。主体的な女性議員による会の発足は、二十七年十月三十日である(昭35北海道婦人議員協議会)。元札幌市議会事務局長上林久治の回想によると、許士・竹村の両市議が議長と協議して全道市町村議会を通じてよびかけ、一二人が参集したとある。当時道内女性議員(二〇人前後)の統計はなく、年鑑の各市町村議員名簿から推測して案内したという。

写真-9 婦人議員協議会 後列左3人目竹村マヤ(昭28)

 二十七年同会の冒頭竹村は、同年八月札幌市で開催された第三回全道婦人大会で若狭リウ(岩内町議)が婦人議員による会を要望したのが実を結んだと挨拶した。参加議員の所属する政党や議会の常任委員会など確認する中で、札幌市の二人が議会運営委員であることは注目された。風紀問題・文教地区設定問題や、議会における女性議員の立場について議論がかわされ、担当が厚生・教育などに限られないよう、女性議員がより多く進出できるよう、逆コースといわれる空気の強まる中、力を合わせて努力することとなった。懇談の後HBC放送の録音取材に応じ、市内の乳児院や母子寮を熱心に見学したこの集まりを、新聞も写真入りで伝えた。
 会合は以後毎年道内持ち回りで開催されるようになった。三十五年に規約を定め、名称を北海道婦人議員協議会とし、それまで来賓として参加した道議も会員になった。会合の決議等で最も古い記録は三十一年で、内職相談所・乳幼児保育所の設置など七項目であった(北海道女性議員協議会 歩み)。