札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第六章 戦後の市民生活と社会運動の展開

第四節 女性の解放と社会進出

一 女性議員の誕生と公職への進出

 二十二年初の統一地方選挙で四月三十日の札幌市議会選挙には、定員四四人に対し一五〇人が挑戦した。女性は六人立候補して三人が当選した。安倍登貴(市立札幌高女英語教師)は一〇二九票で八位、竹村マヤ(助産婦)は八二六票、許士ヨ子(きょしよね)(前市会議員の妻)は七四二票であった。投票率は男六八・四パーセント、女五九・六パーセントである(札幌の選挙)。
 『道新』は五月二日「変り種・おらが道議、市議」の中で、安倍を「今春十八回目の卒業生を送り家庭では四人の母親」、許士を「夫君の玉ねぎ輸送業に協力して朝鮮・中国・満州などにも赴き取引をした」と紹介した。また初議会は、「民主市会にふさわしく紅三点を加えた新人三一名という議席構成にも時代の諧調」、全議員四四人出席の傍聴席は学生をまじえ満員と伝えた(道新 昭22・5・8)。
 女性議員の初質問は、安倍が五月二十四日の臨時会で行った。新制中学の修繕費について過少であり、特に併置校(安倍の勤務校市立高女にも中島中学が併置された)について全く考慮されていないことを質したのである(昭22二臨速記録)。教員組合結成初期に活躍した安倍は、兼務が禁止されると市議は一期で引退した。
 許士は連続五回当選、電力対策特別委員会・経済委員会を初め各種委員会で活動し、三十年度は総務委員会委員長を務めた。四期目の三十四年に、札幌市婦人会館建設期成会の会長になり設立に尽力した。長く西創成婦人会会長であり、三十七年の札幌商工会議所婦人会の結成にも参加した。
 二十年に札幌市助産婦会会長となった竹村は、市議会議員選挙は近所の市議福島利雄(のち議長)や水戸秀三郎らに強く説得され、ほとんど事後承諾のように立候補させられたと回想している(タイムス 昭49・9・2)。市議会議員としては厚生委員会を中心に福祉に力を注いだ。売春防止法実施に至るまでの働きは第五節に詳しい。また三十三年、美香保中学に仮設されていた菅原学級(知的障害児施設)の存続・充実にも貢献した。五十三年の札幌市開基一一〇年記念式典で札幌市発展貢献賞を受けた、唯一の女性である。
 札幌市議会の女性議員を表26に示した。なお、市に合併された周辺町村では、堀内カヨが三十四年の手稲町議会議員に当選した。
表-26 札幌市議会の女性議員
選挙年定数議員氏名(政党)
昭2244安倍登貴(無)   竹村マヤ(無)  許士ヨ子(無)
 2648許士ヨ子(無)   竹村マヤ(民主)
 3048許士ヨ子(無)   竹村マヤ(無)
 3452渡辺和歌子(社会) 許士ヨ子(無)
 3856許士ヨ子(無)   渡辺和歌子(社会)
 4260坪谷道子(社会)  渡辺和歌子(社会)
 4660猪股嘉子(共産)  坪谷道子(社会)
『札幌の選挙』より作成。