札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第六章 戦後の市民生活と社会運動の展開

第二節 戦後の社会問題

一 荒廃する社会秩序

 二十一年四月、朝連北海道本部が再び活動を許可されると福祉や教育方面にも力を入れるようになった。六月十日には、大通公園の聖恩碑前で民主臨時政府促進人民大会を開催し、民主臨時政府の早期成立を求める演説会ののち、デモ行進した(道新 昭21・6・11)。七月には、札幌支部有志が朝連組織下の授産施設共栄寮を設置し、孫邦柱が経営にあたった。八月十五日、円山坂下グラウンドで解放記念運動会を開催、サッカーや朝鮮相撲を市民に披露した。十一月七日、進歩党の道議の差別発言に対して抗議行動を起こし、警察に検挙される者も出た(道新 昭21・11・8)。
 二十二年二月二十一日には、朝連幹部が道庁刑事課を訪問し、強制指紋採取について抗議した(道新 昭22・2・22)。二十三年六月八日、日本政府の「朝鮮人児童は日本人学校に入学させる」という方針に反対して、子弟のための札幌朝連初等学校を開校した(道新 昭23・6・10)。
 朝連は、次第に経済闘争よりも政治闘争に力を入れるようになったため政治偏向に不満をもつ人々が現われ、二十三年五月、在日本大韓民国居留民団北海道本部が結成された。その中心人物には、土建運送業などを営む金住喜や、民族独立運動で特高に検挙されたことのある市内豊平の料理屋田千守(ジョンチョンス)等がいた(道新 昭23・5・10)。居留民団北海道本部は、二十四年一月二十九日、大韓民国承認慶祝大会札幌市中央公民館で開催し、道議会副議長鈴木源重らの祝辞を受け、三月一日には三・一記念式典を同館で挙行した。
 二十四年九月九日、朝連は、マッカーサー元帥および日本政府から、占領軍政策に反対し日本復興を阻害する団体として強制解散(団体等規制令の適用)を命じられた(道新 昭24・9・10)。解散時の混乱で三〇人が検挙され、日本人を含む八人が有罪判決を受けた(道新 昭24・9・10)。さらに十月十九日、朝連子弟の教育機関であった朝連初等学校も閉鎖させられた(道新 昭24・10・20)。
 二十五年六月に朝鮮戦争が勃発すると、居留民団は義勇兵を募集したり(道新 昭25・7・12)、軍事献金を行ったが、旧朝連の人びとは公然活動が出来ず、二十七年、非合法の「在日朝鮮統一民主戦線」や「祖国防衛隊」などを組織して、祖国・朝鮮民主主義人民共和国に対し支援活動を展開した。「在日朝鮮統一民主戦線」や「祖国防衛隊」のメンバーと疑われた人々は、「監視」をうけ、しばしば武器所蔵の疑いで家宅捜査を受けた。最後の朝連委員長であった鄭甲秀(ジョンカプス)は自宅前に派出所を設置され、「監視」を受けた(人間雑誌7)。「祖国防衛隊」は、二十七年の札幌メーデーに参加、会場で発言したり、デモにも参加した。
 二十七年四月二十八日、「外国人登録法」が公布・施行され、在日韓国人は、居留民団が居住証明をしてくれるのに対し、合法的な組織を許されない在日朝鮮人の場合は、法務局でなければ居住証明を出してもらえなかった。この「差別」に抗議して、在日朝鮮人のなかには、外国人登録を拒否する運動がおこった(道新 昭27・10・8)。しかし、「差別的処遇」にもかかわらず、二十七年末における札幌市内外国人登録者一〇一二人のうち、在日朝鮮人は五〇五人、韓国人三〇六人(昭27事務)で、依然として旧朝連支持者の方が多いのも事実であった。