札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第五章 高度成長期の産業発展

第八節 農業

二 高度成長期の農業(農業構造と農業生産)

 米の生産調整が実施される以前には、消費生活および農業経営双方の安定を図ることを目的として、長年行われてきた食糧管理制度によって販売と価格面で安定していた稲作は、札幌市においても終始最重要な作目であった。だからこそ、札幌市の耕地面積が昭和三十年以降減少に転じたにもかかわらず、水稲の作付面積は三十八年まで増加を続けたわけである。それ以後は減少に転じ、さらに四十五年以降は劇的に減少していき、四十七年の作付面積は、ピーク時のほぼ四分の一になった(表74を参照)。
 他方で、水稲の粗生産額は四十三年までは増加を続けたものの、それ以後は減少傾向に転じ、四十七年の粗生産額はピーク時のほぼ三分の一になった(表75を参照)。
 水稲の作付面積の変化を地区別にみると、昭和四十一年には篠路七八八・九ヘクタール、白石六七二・八ヘクタール、豊平四九八・一ヘクタール、手稲四四七・九ヘクタール、琴似三六二・四ヘクタール、北札幌一四三・〇ヘクタール、旧市内二六・九ヘクタールであったが、四十七年には北区四九三・〇ヘクタール、白石区二五四・九ヘクタール、南区九四・五ヘクタール、東区六六・五ヘクタール、西区四五・九ヘクタール、豊平区一一・〇ヘクタール、中央区〇・一ヘクタールとなり、全体的に大きく減少しているが、とりわけ豊平、手稲、琴似の落ち込みが顕著であった。