第九編 大都市への成長
第五章 高度成長期の産業発展
第七節 エネルギー産業
一 電気事業
昭和二十六年五月一日、電気事業再編成によって北海道電力株式会社(北電)は誕生した。北電の母体は、日本発送電北海道支店と北海道配電であり、資本金三億三〇〇〇万円のうち、日本発送電が一億五〇〇〇万円を、北海道配電が一億八〇〇〇万円を、それぞれ現物出資した。会長・社長をはじめとする経営陣はすでに公益事業委員会において内定しており、取締役八人、監査役三人、計十一人の経営陣が就任した。
同社は、定款で事業目的を①電気事業、②電気機械器具の製造、修理、および販売、③前各号に付帯関連する事業と定め、本店を札幌市南五条西一六丁目(元日本発送電北海道支店、現在の清風寮所在地)に置いた。また、本店分室として大通分室(元北海道配電本店、現在の本店所在地)、および桑園分室(現在の北海道計器工業(株)本社所在地)を設け、名寄、北見、旭川、岩見沢、小樽、札幌、釧路、帯広、室蘭、函館の道内一〇支店、および東京支社を設けた。さらに、従業員は北海道配電と日本発送電北海道支店からそれぞれ継承し、計六二二九人体制でスタートした。 北海道電力が日本発送電と北海道配電両社から受け継いだ資産のうち、主要な設備は以下のとおりである。まず、発電所は五六カ所、認可最大出力合計は三一万一八八八キロワットであった。このうち、水力発電所は五〇カ所、火力発電所は六カ所で、火力は一部を除いていずれも小規模発電所であった。 送電設備は、亘長二六八キロメートルの一一〇kV系送電幹線、および各地域での電力供給を行う六六kV系以下の送電線、亘長三七五二キロメートルで構成されていた。六六kV以下の送電線は大部分が戦前の設備であり、木柱にピン碍子という信頼度の低いものであった。 変電設備は、一一〇kV系一次変電所が三カ所で、その認可出力計は一五万kVA、六六kV系以下の変電所は一九三カ所で認可出力計は四三万二七八〇kVAであり、合計一九六カ所、五八万二七八〇kVAであった。これらの設備も戦前の負荷に合わせた設備であり、主要変圧器の容量不足、配電盤の老朽化、遮断機の耐量不足が顕著であった。 配電設備は、架空配電線亘長二万四六六八キロメートルと地中配電線九キロメートル、電柱三五万一五四九基、変圧器四万九九九八台などであった。電柱はほとんどすべて木柱で、防腐処理のされていない生木の柱も数多く、事故防止のため建替えを要する老朽柱が約五万本あったほか、電線、変圧器、碍子も腐食・不良品が多く、改修を必要とする個所はおびただしい数にのぼった(北のあかりを灯し続けて(北海道電力五十年の歩み))。 「悪いことずくめ」(北海道電力の十年)の状況からスタートしながら、のちに飛躍的な発展を遂げた北海道電力のその後について表47を参照されたい。
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