札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第五章 高度成長期の産業発展

第六節 札幌の鉱業

三 その他の鉱山

 天然ガスについては、昭和二十五年から三年間、道立地下資源調査所が工業技術庁地質調査所等と協力して札幌市米里や札幌市近郊等でボーリング探査をおこなっている。また石油については、帝国石油株式会社(以下、帝石)や石油資源開発株式会社(以下、石油資源開発)が大学や地質調査所とともに戦後かなり活発に探査を進めた(道新 昭26・1・7、29・1・9。北海道鉱業振興委員会 北海道石油鉱業の現況と将来)。その中で成功した代表的な油田が茨戸油田(石狩町・札幌市、石油資源開発)であった。

写真-8 茨戸油田

 ところで北海道における石油産出のピークは二つあり、それは昭和六年と三十六年であった。前者は石狩油田(石狩町)、軽舞油田(勇払郡厚真村)等に負うところ大であったが、後者のピーク形成に寄与したのが茨戸油田に他ならなかったのである(北海道の石油・天然ガスの探査と開発)。
 茨戸油田は札幌駅から北へ約一二キロメートル、旧石狩川の三日月湖を挟んで南北二・六キロメートル、東西五〇〇メートルに渡って拡がっていた。同油田は三十二年五月に開坑された試掘第一号井によって道内初の平原型油田として発見され、同年九月から採ガスが、また翌年一月から採油が開始された。当初は一六の自噴井があったが、三十五年末では自噴井九坑、ポンプ井一二坑、ガス井二坑となり、三九年末頃には自噴井一坑、ポンプ井二〇坑、ガス井二坑、ポンプ休止井一坑の計二四坑となった。施設としては送油所と三つの集油所があった。原油は三十四年八月から、天然ガスは三十五年九月から販売が開始された。原油は採油井、集油所、送油所、送油管(約三・七キロメートル)を経て篠路積込所(篠路駅)に送られ、そこからタンク車で販売先の日本石油精製株式会社室蘭精油所に輸送された。また天然ガスは採収井、集油所を経て送ガス管(約一六キロメートル)で販売先の北海道瓦斯札幌営業所まで送られた(茨戸油田史、北海道瓦斯55年史)。
 従業員は各年一〇~一三人であった(札幌鉱山保安監督局 金属鉱山等か行鉱山名簿)。
 茨戸油田は鉱量涸渇のため昭和四十六年七月に閉山となったが、その発見から閉山までの一四年間において石油八万四七〇九キロリットル、天然ガス七七一万三〇〇〇立方メートルが産出された(最近における北海道鉱業の概況)。
 現在の札幌市域内には茨戸以外の油田(石油鉱山)もいくつかあった。たとえば三十四年七月現在では、月寒(石油・可燃性ガス、豊平町、石油資源開発)、札幌(石油・可燃性ガス、札幌市、帝石)の両油田はすでに休止していたが、第二茨戸油田(石油・可燃性ガス、石狩町・札幌市、帝石)が稼行していた(北海道の鉱業)。このほか三十七年十二月現在で四七人の従業員が働いていた輪厚油田(広島村、石油資源開発)があった(通産省鉱山保安監督局 鉱山名簿)。
 しかし四十六年現在では、これらすべての金属鉱山、油田が姿を消して手稲と豊羽だけとなり、翌四十七年からは豊羽のみが本格的な稼行鉱山となるのである。