第九編 大都市への成長
第五章 高度成長期の産業発展
第三節 高度成長と金融システムの変容
一 高度成長と金融構造変化
この間の北海道経済と金融に重要な意味を持つものとして、政府系金融機関である北海道開発公庫の設立がある。北海道開発公庫は昭和三十一年五月の北海道開発公庫法により、六月、本店を札幌において設立され、七月に業務を開始した。三十二年四月、北海道開発公庫法の一部を改正する法律により北海道東北開発公庫と改称し、本店は東京に移転し、札幌は支店となった。
開発公庫の役割は、「地域資源立地型産業の資金的支柱となること」(北海道東北開発公庫30年史)であったが、民間投資や民間金融の補完・奨励の立場で次のような重点産業への長期資金の供給が図られたのである。すなわち開発公庫に関わる「政府資金の産業設備に関する運用基本方針」は、例えば三十二年度については「北海道及び東北地方における産業の振興開発を促進するため民間投資及び一般金融機関の金融を補完又は奨励の見地から、石炭又は可燃性天然ガス又はその他未開発鉱物資源の利用工業、農林畜水産物加工業、鉱業及び製錬業並びに産業の振興に係る交通運輸業に重点をおいて必要な資金を供給するものとする」(北海道東北開発公庫30年史)とされた。この基本方針は、三十四年度以降、重点産業の例示をしなくなり、開発効果の顕著性、確実性を重視し、雇用効果、所得効果等を留意するように変容した。 三十一年八月の北海道曹達株式会社に対する貸付が融資第一号となり、同年九月の北海道ピー・エス・コンクリート株式会社に対する出資が出資第一号となった(北海道東北開発公庫20年史)。しかし多くは、融資案件では甜菜糖工場、製紙工場、製油所等の新設等に対するもの、また出資案件では港湾付帯施設の整備事業等に対するものであった(北海道東北開発公庫30年史)。その後の出融資実績は表22のとおりであるが、後に問題となる苫小牧東部開発株式会社への出資が始まったのは四十七年七月からであった。
なお、この一〇年間におけるその他の政府系金融機関の札幌支店あるいは支所の業況の推移は表23のとおりである。
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