札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第五章 高度成長期の産業発展

第一節 工業化の進展

二 食料品工業の設備拡充

 この時期にはビール需要は全体として伸び続けたが、これとは対照的に清酒需要は停滞していた。北海道における清酒消費量は、四十年に六万九七四九キロリットル、四十一年に七万八〇一九キロリットルに対し、四十二年は七万五一四七キロリットルと前年よりも減少した。その後も一進一退を続け、四十七年には七万四二七五キロリットルであった(ビールを中心とする各種酒類消費の概況)。特に二級酒の減少が顕著で、一級酒の伸びで埋め合わせることができなかった。洋酒、ビールに喰われたことが原因といわれている。清酒メーカーのなかには再編統合の動きがみられた。「北の誉」をつくる札幌北の誉酒造(株)、北の誉香蘭(株)(小樽)、旭川北の誉酒造(株)のいわゆる北の誉三社は、四十三年三月に合併し、北の誉酒造(株)となった。これにより、北の誉は日本清酒を抜き、道内第一位の清酒メーカーとなった(道新 昭43・3・1)。
 日本清酒は、三十四年七月に札幌清酒工場(南3東5)を現地に新築し、三十四酒造年度には旧工場の生産能力を超える二七〇六キロリットルを製造し三十八年度には三六〇八キロリットルに達している(日本清酒株式会社四十年史)。日本清酒の清酒売上高は、四十四年まで増加を続けるが、四十五年に対前年比一六・八パーセント減となっている。日本清酒は、味噌醸造なども手がける多角経営なので、清酒の停滞はさほどひびかなかったものと思われる。中小清酒メーカーは、再編統合を余儀なくされており、そのなかの一つ、野崎酒造(株)(旭川市)を四十五年五月吸収合併した。野崎酒造とは、三十五年以来、日本清酒が「おけ買い」をする関係であった(日本清酒株式会社五十年史)。

写真-1 日本清酒

 札幌の中川酒造、大同酒造などの清酒メーカーは、四十三年にビールの「純生」に対抗して「活性清酒」(にごり酒)を開発、販売した(道新 昭43・3・24)。しかし、こうした努力も功を奏さず、中川酒造は四十二年、四十三年と欠損を出し、廃業を決めている(道新 昭45・10・2)。
 このころから、池田町は自治体ワイン「十勝ワイン」を製造、売り出しをはじめ、富良野市もワイン製造を計画していた。北の誉酒造では、フランスのフレミクール社とワインの輸入契約を結び、道内販売を決めている(道新 昭47・4・19、6・14)。このように中小メーカーは再編統合に向かい、大メーカーは多角化により清酒消費減退に対処していたのである。