札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第四章 戦後改革と経済

第三節 商業の再生

一 生活物資の流通統制

 かつては二〇〇軒以上の商店を擁していた狸小路でも、戦争中には転廃業がすすんでいた。敗戦直前には六~七〇軒ほどしか営業している店はなかったといわれ、しかも昭和二十年七月には一丁目、四丁目、九丁目、一〇丁目などが強制疎開の対象となっていた(札幌狸小路発展史 昭30、道新 昭20・7・10)。このため敗戦直後から狸小路は闇市と化し、特に空き地となった一丁目には多くの露店商が出現し、いつしか「青空市場」などと呼ばれるようになっていた。
 狸小路の闇市では、闇値の高値に公憤し適正価格で販売を行ったり、「愛される市場」をめざして「安い闇」を心がける、などという露店商組合も出現した(道新 昭21・1・29、1・31)。一方市や警察は、随時狸小路や薄野、創成川畔の闇市の取り締まりを行ったが、闇市の露店商のなかには、復員者や樺太からの引揚者及び内地からの戦災者、戦争中の転廃業者も含まれており、必ずしも力ずくで取り締まるのがはばかられる実情があった。そこで市は、GHQ北海道軍政部からの指令もあって、昭和二十一年八月二十一日狸小路の「青空市場」を市設の露店小売市場として合法化した。これにより「青空市場」では、札幌市に居住し、かつ警察から許可を受け、しかも戦災その他の罹災者、外地引揚者露店商を業とする者、及び失業者であって札幌市長が生活上やむを得ずと認めた者は、小売人として市場に出店できることになった。出店者が販売できるものは生活用品に限られ、すべての商品は公定価格での販売が義務づけられた(札幌市設露店小売市場規則 昭和二十一年参事会関係書類)。また有蓋店舗一二〇、無蓋店舗一二二の合計二四二店舗が用意され、出店者は使用料として有蓋店舗は一カ所一日三円、無蓋店舗は一カ所一日二円を支払うこととなっていた。ちなみに薄野、桑園、鉄北の各小売市場では、同年の場合、一等店舗の一カ月の使用料は六〇円、二等店舗で四〇円、三等店舗で二〇円、穴倉で一円五〇銭なので、有蓋店舗の一日の使用料が三円というのは、案外割高ともいえる。しかし市設露店小売市場では、開場初日こそ二四二店舗に対し六七軒と少なかったものの(道新 昭21・8・21)、その後は徐々に出店者が増加し、翌九月には早くも有蓋・無蓋店舗合わせて二〇〇〇軒を超え、昭和二十二年になっても常時三五〇〇軒前後の出店があった(表17)。ちなみに薄野小売市場では同二十二年九月、物価情勢をにらんで一等店舗の使用料を六〇円から一気に一五〇円に、桑園、鉄北小売市場でも三等店舗の使用料を二〇円から五〇円に、穴倉の使用料を一円五〇銭から五円に引き上げている(昭22四定速記録)。
表-17 露店市場の手数料・出店情況
手数料
(円)
有蓋店舗
(舗)
無蓋店舗
(舗)
店舗計
(舗)
昭21.82,324674151825
   96,5201,7286682,396
   107,6301,8441,0492,893
   118,9422,2341,0903,324
   129,5212,4151,1713,386
昭22.18,4282,0401,1543,194
   29,3362,3581,1503,508
   310,4122,6321,2583,890
   48,8982,3009993,299
   511,1622,8441,3154,159
   610,5502,5701,4203,990
   79,9642,3361,4783,814
   89,6472,2511,4473,698
   99,0162,0401,4483,488
   1012,1301,8501,5033,353
   1112,6611,9469772,923
   124,5232,2561,0813,337
『事務報告』(昭21・22)より作成。
出店者は主として戦災者,外地引揚者復員軍人,その他必要と認めた者。

 ところが露店市場を合法化したものの、露店闇商人の出没はおさまらなかった。市設露店市場を開場した八月こそ市当局が取り締まりを強化をしたため、なりを潜めていた闇商人たちも、翌九月になると再び狸小路、創成川畔を中心に跋扈(ばっこ)しはじめ、同月の闇商人取り締まり件数は約六六〇件、八月の約三倍となった(道新 昭21・10・3)。また市設露店市場自体にもモグリの業者が横行するようになり、結局再び「ヤミ市」か「泥棒市」と化してしまった(道新 昭23・3・3)。そこで市は昭和二十三年三月三十一日を期限として狸小路市設露店市場を閉鎖することとし、その跡地には小公園を設け、これを含む創成川両岸を緑地帯とする新規事業を計画した。
 しかし市設露店市場の閉鎖は、引揚者や戦災者などの生活の糧を奪うことにもなりかねないので、市は露店指定地を設け、そこでの営業を許可することとした。許可書は①引揚者、②戦災者、③生活困窮者、④老婦女子、⑤一般の順で優先的に発行され(道新 昭23・2・27)、西二丁目通の南一条から南七条間両側、西三丁目通の南四、五条仲通より南六条通までの西側、南七条通東本願寺南側の三地区に加え、西九丁目通美登紀館前西側、南五条通西二、三丁目の両側が指定地となった(道新 昭23・3・6)。市は当初八〇〇人までは許可申請を可能としていたが、結局六六六件の申請があった。ちなみに特に人気があったのはやはり南一条西二丁目付近で(道新 昭23・4・8)、西二丁目通の指定地では五つの組合により自主的な統制がおこなわれ、これにより「昨年あたりまでマーケットを根拠にはびこっていた顔的存在や所場代を名目とするモウケの頭(ピン)ハネも姿を消し、雑踏のなかからむせかえる体臭を発散しながら闇市と呼ばれてあやしい花を咲かせた姿は見られない」(道新 昭23・8・22)などと報じられた。