第九編 大都市への成長
第四章 戦後改革と経済
第二節 戦後金融改革と札幌の金融
一 金融の再建整備と発展
北洋無尽株式会社は十九年三月十五日、金融機関統合の国策に基づき、札幌の日之出無尽、北日本無尽、北見の東和無尽、函館の拓殖無尽の四社が小樽の小樽無尽に吸収合併される形で創設されたが、戦後も引き続き重要な中小企業金融機関として機能した。
北洋無尽の「金融機関再建整備法」による最終処理の確定損は約五四四三万円となり、これから確定益約三二万円を差し引き、その残額を旧勘定積立金約五一万円、資本金約一九〇万円、法人預金等その他整理債務約二三五万円等で充当し、不足分約四八三五万円は政府補償金によって補塡した。こうして新旧勘定を一本化し、二十三年四月一日からは新資本金を五〇〇万円として再発足した。翌年には増資して、二十四年九月一日、資本金は一億五〇〇〇万円となった。 従来、無尽には正式に預金業務が認められていなかったが、戦後インフレーションに遭遇して急遽二十年十月二日「軍需金融特別措置法施行令」の改正がなされ、無尽会社の預金業務が認められることになり、同年十二月一日から普通預金・定期預金業務が開始された。北洋無尽も預金業務を開始し、二十一年三月末の約五九二万円を出発点に二十五年九月末には約六億三一七一万円へと増加し、資金量(掛け金、預金)に占める割合も二・五パーセントから一二・二パーセントへと拡大し、その後ますますその重要性を増していった(北洋相互銀行 五十年史)。 再建整備後の主要勘定を示したのが表11である。資金量、融資量(給付金、貸付金)ともに順調に伸び、相互銀行に転換する直前の二十六年九月末には、全国の無尽会社中、資金量において第二位、契約高において第三位を占めるまでになっていた。ちなみに資金量の全国上位一〇社を示せば、表12のとおりである。
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