札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第四章 戦後改革と経済

第一節 戦後改革から戦後復興へ -工業を中心に-

二 財閥解体と軽工業の復興

 表5は、昭和二十四年時点の職工数二〇人以上の食品工場の一覧である。古谷産業は、「フルヤのキャラメル」として知られ、全国的にも森永、明治と肩を並べる菓子メーカーであった。二十五年にはキャラメルの他、ビスケット、キビだんご、水飴、小豆菓子、カステラ、乾パンなどを製造している(道新 昭25・11・25夕)。翌年四月二十二日に火災が発生し、工場の大半を焼失した(道新 昭26・4・23)。幸い新築のキャラメル工場が無事だったので、その他の工場を建設し、十月十一日に復興祭を行っている(道新 昭26・10・11)。翌二十七年二月には東京工場(埼玉県与野町)の操業を開始し、その後は京都、大阪にも出張所を開設するなど全国展開を果たしている(さっぽろ経済 昭30・7)。
表-5 工場一覧・食品工業(職工数20人以上,昭和24年9月)
工場名住所建築面積
(坪)
職工数
(人)
馬力数
(馬力)
高橋水産札幌食品南10西81177270
札幌精麦所*1北7東96,38520168
古谷産業食糧工場北6東111,614173174
福山食糧工業(株)苗穂373,03584200
北海道酪農協同(株)製乳工場苗穂361,40034258
北海道酪農協同(株)苗穂36895599237
北海道酪農協同(株)札幌肉加工場苗穂361482467
トモエ油脂工業(株)苗穂374502089
大日本麦酒(株)北2東44,7351801,000
共栄物産(株)豊平4―531128112
共栄物産(株)豊平4―52203455
中村食糧工業(株)豊平河岸53272359
岩志屋南5西31002123
藤田食品(株)北6西11992332
札幌酪農牛乳(株)牛乳処理工場北1西11502540
高橋水産(株)札幌冷凍工場南2東138032106
札幌飲料食品(株)南6西7102274
青柳水産食糧(株)第二工場南3西131762910
西村食品工業(株)北4西675374
札幌酒造(株)南3東3783314
日本清酒(株)南3東52,2475712
竹山食品工場南5東2122255
北海道農産工業(株)白石村字上白石7644310
『工場調書昭和24年9月製作』,『工場調書(札幌都市計画区域内郡部)昭和25年2月作製』
1…建築面積,馬力数の小数点以下は切り捨てした。
*1…住所,建築面積から判断すると大日本麦酒(株)の精麦工場と思われる。

 福山食糧工業は醸造業福山甚三郎の会社である。甚三郎が社長を務め、弟甚之助が同社専務と北海道味噌醬油工業協同組合連合会理事長を務めている。北海道の味噌醬油醸造業は、中小零細企業が多く、また味噌と醬油の兼業に特色がある。原料となる大豆は、戦前は満州、朝鮮からの輸移入に依存していたが、戦後は国内では北海道で作っているほかアメリカからの大豆輸入、脱脂大豆(油を搾った後のかす)輸入に依存していた。また、味噌では道内自給を果たしたが、醬油は内地製品の移入が多かった。札幌では味噌醬油醸造が盛んであった。表6は、札幌(現市域)の主な味噌醬油醸造業者をまとめたものである。表中のトモエ醬油は、表5の福山食糧工業のことである。また、札幌の味噌醬油製造業者は、味噌で全道の二四・九パーセント、醬油で一八・四パーセントを生産していた(北海道に於ける味噌醬油醸造事業)。
表-6 味噌醬油醸造業者(昭和26年)
業 者 名味噌生産量
   (貫)
醬油生産量
   (石)
日本清酒大通支店348,640
トモエ醬油(株)346,30910,205
北山喜三郎73,4451,090
村岡勝恵59,0501,849
斉藤甚之助49,800434
石塚達治42,843653
合名会社松井商店36,687761
札幌味噌醬油醸造会社35,415314
長山勝治35,2001,167
川島産業(株)35,000571
星野良八34,360755
佐藤吉蔵27,200332
松尾栄松8,160842
佐藤貞太郎2,696
合計1,132,10921,669
北海道拓殖銀行調査部(林謙三執筆)『北海道に於ける味噌醬油醸造事業』昭和27年
味噌月産能力10,000貫以上,醬油月産能力300石以上の製造者。北海道農業経済課調べ。

 戦時・戦後は大豆不足から味噌醬油はきびしい統制下に置かれたが、二十五年七月に統制が撤廃された。自由化を機に内地の味噌、醬油が入り地元製造業者は押され気味となった。地元産を売るためには内地物よりも値を下げることと品質の改善が不可欠であった。後者の点で画期的だったのは、二十七年六月に生まれた社団法人北海道みそ醬油研究所(北1西14)である。すでに同業者の共同試験室があり、これを社団法人とし、普通の醸造工場の設備に試験研究設備を加えたものをつくったのである。共同試験室から引き継いだ種麴約六〇種、バクテリア、イースト菌約二〇〇種をもち、道内の醸造業者や北大農学部小幡、佐々木両教授、道立工業試験場関係者などが参加して実験を行っている(道新 昭27・8・27)。また、醬油製造では、アミノ酸を製造するために不可欠だった塩酸は、内地からの移入によっていた。しかし、危険物であるため一〇トン貨車にカメ詰め二〇〇本(六トン)という積載上の制約があり、運賃コストを引き上げていた。そこで、醸造業者二三人が二十五年、北海道醬油資材協同組合を結成し、塩酸の共同購入、共同貯蔵に乗り出した。まず札幌、函館、旭川に容積一九〇トンの塩酸タンク、アミノ酸貯蔵設備を設け、さらに一五トン積みタンクカー(貨車)五両、トラック二台、トラック積みタンクなどを用意した。これにより輸送費が三割安くなり、さらに塩酸メーカーとの直接大口仕入れにより一割安く塩酸を入手できるようになったという(道新 昭28・11・17)。
 次に清酒・焼酎・合成酒醸造業についてふれておこう。札幌では清酒メーカーとして日本清酒(株)が「千歳鶴」を、北の誉酒造(株)が「北の誉」を、中川酒造(株)が「金富士」を製造していた。また、札幌酒精工業(株)が焼酎「君万歳」と合成酒「長生」を製造していた(主として本道の酒類工業について 北海道拓殖銀行 調査月報第五号)。北海道全体の酒類消費は、二十六年上半期で焼酎、清酒、ビール、合成清酒、雑酒(ワイン、ウイスキーなど)の順であった(道新 昭26・7・22)。