札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第三章 札幌市の発展と街づくり

第三節 交通の再編と通信

一 市内の交通網の拡充と再編

 市街地が郊外へ拡大したことでバスの重要度が増してきた。また都心の自動車交通量の増加によって昭和三十五年頃から電車ののろのろ運転が問題となり始める(道新 昭35・1・13)。そのため交通局ではスピードアップと共に大量輸送をかねて連結車両の開発を行い、三十六年に運行を開始した(道新 昭34・7・28、36・8・21など)。連結電車は好評でその後も車両を増加させたが、乗客の増加による乗降時間が長くなったこと、信号機が年々増加したこと、車の増加によりスムーズな運転が妨げられたことなどから、市電のスピードはますます鈍化した(道新 昭39・9・28夕)。そのため市電の停留所二八カ所を統廃合して一四カ所に減らした(道新 昭40・4・16)。
 一方根本的な交通体系の再編について、三十九年札幌市の依頼により北海道開発コンサルタントが『札幌市における将来の都市交通計画』を作成し、これを参考にして四十年交通局では二〇年後の交通計画を発表した。これには南北と東西の二系統の高速電車計画が織り込まれていた(道新 昭39・9・1、40・7・8)。この高速電車の研究は、三十九年から始められ(道新 昭39・11・8)、四十一年には四十三年の一部導入をめざして調査費の予算化が図られ、高速電車のコースの研究も始められた(道新 昭41・1・8、8・21)。最終的には札幌オリンピックまでに開通することをめざして、四十四年から建設工事が開始され、オリンピック開催の前年四十六年十二月に開通した(広報 昭44・3など)。地下鉄(高速電車)の開通にともなって、図6のように市営バス・中央バスなどの各社のバスは地下鉄駅を中心に再編成された。また市電は、新琴似線や山鼻・西線など一部路線を除き廃止された(道新 昭46・12・9)。地下鉄の平岸真駒内間は定鉄の路線を使用することになったため、四十四年十月定鉄は廃止された(札幌市交通事業小史 昭和43年1月から昭和52年12月まで)。

図-6 地下鉄路線とバス・電車路線網(道新 昭46.12.9)