札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

第一章 戦後札幌の市政と行政

第二節 札幌市の拡大と市政

二 札幌市域の拡大

 手稲町を合併しようという札幌市の意向は、豊平町合併直後から見られる。昭和三十六年(一九六一)三月十六日の市議会で、「隣接の町村を合併する意向」を問われた市長は、「札幌を広域都市として建設することが必要である」とした上で、「手稲町を市の工業地域とすることが考えられる」と答弁した(道新 昭36・3・17)。
 手稲町側も、基本的に合併に賛成の意を表していた。例えば、三十七年(一九六二)三月十日の町議会で、町長が札幌市との合併問題に触れ、「原則論として、オリンピック会場に使用されると思う問題のほか、やはり総合計画の一環として札樽地帯の重要な地位と責任並びに立地条件の整備と言う大きな課題をかかえた本町としては、…、話し合いが了解がつきました場合、合併もある程度進行される」だろう、と合併への積極的な姿勢を語っていた(手稲町報 一〇七号 昭37・4・20)。
 しかし、その後具体的な進展を見ないまま事態は推移した。合併問題が再び大きく取り上げられたのは四十年(一九六五)のことである。十二月九日、「札幌市と手稲町の合併問題を話し合う市議会各派会長会議」が開かれた(道新 昭40・12・9)。これは、その直前に「知事が原田札幌市長に話をし、市長から市議会の意向打診となったもの」であるという(道新 昭40・12・8)。だが、この時点でも同会議には「比較的消極的な意見が多かった」という(同前)。
 四十一年(一九六六)、この状況は大きく変化する。「昭和四十一年四月に冬季オリンピックの本市開催が決定したことを契機として合併の気運が急速に高ま」ったのである(知事に対する合併申請 手稲町誌下巻 以下町誌)。六月二十七日、市町議会それぞれの総務委員会の話し合いがもたれた。これが、「合併問題をめぐる札幌市議会と手稲町議会の初の公式の懇談会」であった(道新 昭41・6・23、27)。その後、手稲町では同年七月十六日に札幌市合併調査特別委員会を町議会に設置した(町誌)。市側も、九月二十日に札幌市と手稲町との合併に関する調査特別委員会を市議会に設けた(十一期小史)。また、これと同日札幌市・手稲町合併協議会が発足している(手稲町合併に関する資料)。これは、市町村の合併の特例に関する法律(昭40・3・29公布・施行)に定められているもので、両市町の長・助役・議会正副議長・議長の指名する議員からなる組織である。これ以降、市町の特別委員会と協議会によって、合併の具体的な条件が決められていった。
 合併条件については、既に同年八月二十二日に市町の理事者で策定した「手稲町開発の基本構想」が発表されていた(道新 昭41・8・22夕、手稲町合併に関する資料)。これ以降、これを基礎に交渉が進められた。また、この頃から合併の期日として四十二年(一九六七)三月一日が目標とされていた。この期日が決定された背景には、前述した市町村の合併の特例に関する法律の存在があると言われている。すなわち、同法の施行後二年以内の合併ならば、同法及び新産業都市建設促進法(昭37・5・10公布)の特例規定が適用され、「交付税の面で優遇措置がとられ、国から市に回ってくる交付税が年間三千百万円も増加する」(道新 昭41・8・28)という事情があったのである。
 交渉は迅速に進み、四十一年十一月六日、市町両議会はともに合併議案を可決した。ここに札幌市と手稲町との合併は決定したのである。そして、予定どおり四十二年三月一日をもって、札幌市と手稲町の合併は成ったのである。