札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第5巻 通史5上

第九編 大都市への成長

序章 占領期から百万都市へ

二 札幌圏一極集中の開始

 札幌市の人口増加の要因と道内各地域の人口増減とは、関連づけられそうである。三十五年と四十五年の札幌市と北海道各地域別の人口増減を図3でみてみよう。まず、三十五年の全道人口は五〇四万人に対して、四十五年は五一八万人と、一〇年間で人口の伸び率は二・七パーセントを示した。次に、図を説明すると、札幌市と周辺三市(江別、千歳、恵庭)と石狩郡部(広島、石狩、当別、新篠津、厚田、浜益)を含んだ札幌圏と、札幌圏をのぞく全道各地域とを比較した場合、三十五年では札幌圏が七八万人、全道各地域が四二六万人で、シェアは札幌圏が一五・四パーセント、全道各地域が八四・六パーセントという分布である。その後一〇年後の四十五年は二三・五パーセント、七六・五パーセントといった割合で、一極集中が加速する予兆をみせている。さらに、全道各地域の内容をみていくと、特徴的なのは「主要八市」と「その他の市」で増加し、「炭鉱六市」と「郡部(石狩を除く)」で目立って減少傾向にある。すなわち、三十五年と四十五年の対比で「主要八市」と「その他の市」で三一・二パーセントから三七・四パーセントの増加に対し、「炭鉱六市」は、八・二パーセントから四・九パーセントへ、「郡部」は四五・二パーセントから三四・二パーセントへと下降している。このうち「炭鉱六市」は、前述したようにエネルギー革命による石炭産業の不振を直接に受けている。『札幌市の人口移動』(昭54)によれば、三十六年頃より「炭鉱六市」より炭鉱離職世帯を中心とした札幌市への人口流入が相次ぎ、三十六年に六五七二人、三十七年に七一五九人、三十八年に一万三九六六人とピークを迎え、四十一~四十五年にかけて八〇〇〇人前後をたどり、四十六年に九二四一人と、ピークを過ぎても相変わらず多数の流入が続いていた。このことは、炭鉱離職者はもちろん、直接的な炭鉱関係以外の世帯も炭鉱市における生活にみきりをつけ、札幌市に職を求めて流入してきたといえる。

図-3 札幌市と北海道各地域別人口増減(昭35・45)

 「郡部」からの札幌市への移動も図3の「郡部」人口の減少からも読みとれよう。三十五年の「郡部」の人口の占める割合は四五・二パーセントと、全道人口の約半分に近かったが、四十五年は三四・二パーセントと一一ポイントの減少である。これは、札幌市をはじめ「主要八市」への流入がまず考えられよう。この頃の特徴として、札幌市の人口が一〇〇万人を突破する前後から、「周辺三市と石狩郡部」への人口移動も顕著となり(昭41年頃から江別市道営大麻住宅団地へ、48年から現北広島市道営北広島団地へ、51年から現石狩市花畔団地へ)、現北広島市、現石狩市にみられるように、文字どおり札幌市のベッドタウンとなり、札幌圏への人口一極集中は、こうして進行した。
 次に人口集中の背景として、経済的、社会的特異性についてみてみる。第一に、四十五年の国勢調査結果にみるように、札幌市の就業構造が、卸売業、小売業、サービス業等の第三次産業に特化している点である。一〇大都市の就業者の産業別割合を比較してみると、東京都(区部)の場合、第一次産業〇・四パーセント、第二次産業三八・九パーセント、第三次産業六〇・七パーセントと、製造業などの第二次産業が約四〇パーセントの割合、卸売業、小売業、サービス業などの第三次産業が約六〇パーセントの割合で、これは、大阪市、横浜市、名古屋市、京都市など大都市のほとんども「四対六」のその範囲内にある。ところが、札幌市の場合は、第二次産業二六・四パーセント、第三次産業七一・〇パーセントと、その比は「三対七」と圧倒的に第三次産業の割合が高い。さらに、札幌市の産業別就業者割合の推移を、二十五年、四十五年の各国勢調査の結果をもとにみてみると、二十五年において、第一次産業一五・一パーセント、第二次産業二二・八パーセント、第三次産業六二・一パーセントの割合を示したが、四十五年の各産業別就業者割合は、二・六パーセント、二六・四パーセント、七一・〇パーセントと、第一次産業は都市化の著しい進行によって減少を示している。その一方、製造業を中心とする第二次産業では三・六ポイント増加したのに止まり、第三次産業では八・九ポイントと飛躍的な伸張を示し、第三次産業への傾斜が一段と強まった(札幌市の昼間人口―市外・市内間の通勤・通学人口のうごき― 札幌市 昭49)。
 第二の特異性としては、第三次産業のウェイトが高いことと密接に関係する、中枢管理機能の集積地という点である。中枢管理機能は、調査、研究、情報の提供を通じて、都市およびその影響圏の経済的社会的活動を管理、統制し、これらの活動を円滑ならしめる機能といわれている。また、それらの集積は、産業、経済、文化活動の活発な展開を促し、都市発展の基盤にも相当する。さらに、そこに住む市民にとっても選択機会の拡大や教育、文化の向上など、さまざまな効用をもたらし、都市生活を営むうえで大きな魅力となっていることも確かである。
 次に、札幌市が四十七年に政令指定都市へ移行した直後のデータをもとに、全国主要都市別中枢管理機能を分析した一つの例を紹介しておきたい。全国一二都市を一〇〇(指数)とした場合の各都市の占める割合の中で札幌市のそれを比較したものである。
(総合的機能) 東京が四八・七で他都市に比べ格段に高く、大阪が一三・五で二番目、三番目が名古屋で七・三、次いで札幌が五・二と、主要都市中四番目の指数を示す。
(経済的機能) 東京が三九・四で格段に高く、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸、福岡、次いで札幌が三・五と、八番目の指数を示す(事業所数‥昭和47年事業所統計調査)。
(行政的機能) 東京が四七・二で一番目、それに次いで札幌が九・二と二番目に高い指数を示す。ちなみに大阪は九・一で三番目、名古屋が七・四で四番目の指数を示す(司法、行政、立法の事務機関および政府機関の管理職職員数‥昭和48年大蔵省印刷局 職員録)。
(文化・社会的機能) 東京が五九・四と格段に高く、大阪、名古屋、京都に次いで福岡と並んで札幌は二・七で五番目の指数を示す(四年制大学教員数および出版印刷従業者数‥昭和47年大都市比較統計年表、九市統計年報)。

 以上のように、札幌市は中枢管理機能を構成する各機能のうち行政的機能が格段に高く、それらの集積が、多くの継続的な就業・就学機会を生み出し、前述の第三次産業の利益を求めて札幌市への人口集中の大きな要因ともなっている(札幌都市研究1 昭61ほか)。
 実際に、四十六年の札幌市の人口移動についてみると、札幌市へ転入した世帯のうち七〇パーセントが就職・転職・転勤など「職業上」を理由とし、転入人口のうち道内からの一〇パーセント、道外からの一三パーセントが「入学・転校・受講」を理由とするのは、政治・経済・文化の中枢機能が札幌市に集積していることを示している。これは、札幌市が道内外を含めて、これらの要因による吸引力をもっている都市であることの証明でもある(昭46札幌市人口移動実態調査)。