札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第九章 大衆文化・モダニズム・文化統制

第四節 文化の諸相

三 出版・マスコミ

(二)新聞、ラジオ

 放送事業の理想とする所はラジオの民衆化であり、報道の迅速と社会の教化ならびに民衆の慰安が目的であった(北タイ 昭3・6・5)。放送開始(大14)直後、聴取加入者は東京、大阪、名古屋の放送局所在地に集中し、全聴取者の八割を占めていた。翌年日本放送協会が設立した時の聴取加入者は、全国で三三万一七六八人であった。その後、放送事業の統一普及を目的とする拡張計画により、札幌、仙台ほかの支局が開局し、加入者は増加した。支局開設時の昭和三年末では、五六万人を超えている。その中で、前記の三大都市およびその隣接郡部の加入者の占める割合は四割に過ぎない。これは、地方放送局の開局により次第に地方に向かってラジオが普及したことを示し、ラジオ民衆化の証左(聴取者統計要覧 昭5)といえる。大正四年十一月一日、私設無線電信電話の施設範囲や、電波の監理等取締りの基本事項を規定した無線電信法が施行された。当時、無線は政府の管轄下に置かれていたため、ラジオの聴取には同法が適用され逓信局の許可を受けなければならなかった。しかし、許可は聴取料を払う手段とみなされ(北タイ 昭3・6・5)、許可を受けない者や盗聴者もまた多かった。これでは正確なラジオ普及率を出すことは困難であったと思われる。

写真-16 ラジオ時代のお花見(昭3,加藤悦郎漫画集)

 札幌、函館ほか道内六都市の聴取加入者を比較したのが、表17である。昭和五年度まで、札幌の加入者は他都市を大きく上回っている。それは、この時点で唯一札幌だけに放送局が開設(昭3)されていたためで、全国でも、放送局の開設時には加入者が増加している。函館は七年、旭川は八年に放送局が開設され、六年度には函館、八年度には旭川の加入者が激増している。また、六都市の放送局開局前後のラジオの受信機を見てみると(表18)、昭和二年まで鉱石式は皆無であった。それが、翌年札幌放送局の開局とともに増加している。昭和五年度の『聴取者統計要覧』によると、全国的に鉱石式は減少し真空管式は増加している。北海道全体でも、鉱石式は三割五分という支部別では最高の減少率を示し、真空管式は三割二分の増加率を示している。それにもかかわらず、札幌のみが依然として真空管式よりも鉱石式の割合が高くなっている。こうした現象は札幌だけでなく、広島、熊本、仙台等一〇キロ電力局(函館は〇・五、旭川は〇・三)所在地に限られているのが特徴である(聴取者統計要覧 昭5)。
表-17 聴取加入数
年度札幌函館市小樽市旭川市室蘭市釧路市
昭4
 5
 6
 7
 8
4,964
5,303
6,310
7,102
8,378
717
867
5,427
6,791
6,366
1,335
1,401
1,849
2,868
3,377
547
515
693
927
2,929
269
287
386
650
767
241
268
383
576
633
日本放送協会『聴取者統計要覧』(昭8)より作成。

表-18 聴取受信機分布状況
札幌函館市小樽市旭川市室蘭市釧路市
大15鉱石式
真空管式

315
315

173
173

108
108

70
70

50
50

15
15
昭 2鉱石式
真空管式

281
281

240
240

151
151

131
131

63
63

19
19
  3鉱石式
真空管式
3,826
2,067
5,893
9
552
561
213
 951
1,164
6
496
502
20
215
235

140
140
  4鉱石式
真空管式
2,779
2,301
5,080
10
715
725
153
1,154
1,307
7
547
554
13
268
281

238
238
  5鉱石式
真空管式
2,863
2,474
5,337
8
873
881
108
1,263
1,371
5
509
514
13
283
296

265
265
日本放送協会『聴取者統計要覧』(昭5)より作成。