札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第九章 大衆文化・モダニズム・文化統制

第三節 美術

 大正末から昭和初期の札幌の地域社会と美術をめぐる特色として、第一に出版物が多く出されたことと、第二に社会的教育の問題、そして第三に商業美術があらわれることがある(今野由佳里 戦前期の北海道美術界の諸相―未定稿―)。
 第一の出版物では、大正十四年の『さとぽろ』や、昭和二年六月には加藤悦郎唯是日出彦らの雑誌『北海道漫画』(北海道漫画社)が出され、同誌の廃刊後の四年から藤山天保、唯是日出彦らの『漫画時代』が、漫画時代社(大通西5)から八号発刊される(弘南堂古書目録 第34号)。三年十月二十六日付の『北海タイムス』には、北海評論支局で、文芸音楽論、美術論、建築論、映画論などを応募する『北海芸術新聞』の発刊予告がのる。五年の道展(第六回)で、四六倍版三〇頁の『道展グラフ』が博光社から出され、八、九年には『独立美術クロニック』が発刊された。
 第二の美術の社会とのかかわりについては、大正十三年に澤枝重雄を中心に札幌(北都)洋画研究所が太平館に開設され、二〇人近くの研究生が石膏や人体の写生をした(北タイ 大13・2・6)。同研究所では、図画教育の文部省検定受検のため、十五年五月一日より三カ月間、「用器画」や「鉛筆画・図案デッサン」の講習が行われた(北タイ 大15・4・16)。昭和三年に蒼玄社とともに同研究所は円山の澤枝のアトリエに移る(北タイ 昭3・9・15)。大正十五年には山内弥一郎札幌女子画学院を創設し、全道女流絵画展を丸井呉服店で開く(札幌の絵画、北タイ 昭2・5・25)。昭和七年には、大塚謙三洋画研究所(南18西14)が開設され、夜間・昼間・土日の各部、人体・石膏・日曜の各部が置かれ、批評会や秀作展が企画された(北タイ 昭7・9・6)。
 そのほか講習会や講演会の開催を『北海タイムス』から拾うと、昭和四年には北海出版社主催のテンペラ画講習会、七年五月には日本プロレタリア美術家同盟札幌支部のプロレタリア美術講習会三岸好太郎ほかの美術講演会、八年七月には北海道独立美術作家協会主催の美術講演会、八月二十八日には日本南画院の小室翠雲の講演会が開かれる。九年八月三日からの春陽会夏期洋画講習会ではヌードのモデルの写真が新聞に掲載される(北タイ 昭8・8・3)。
 第三の商業美術の問題では、昭和四年に、「北海道商業美術研究会」が「ポスター図案、新聞広告図案、ショウウヰンド設計、チラシ、レッテル図案、看板等各種各方面の研究及び向上発展」を目的として設立しようとする動きがあることが報じられる(北タイ 昭4・3・26)。
 昭和七年になると、道展の中にも工芸美術運動が起こり、三岸好太郎小山昇本郷新らにより新興工芸美術聯盟が設立され、翌年六月には第一回試作展がおこなわれる(北タイ 昭7・10・28、昭8・6・1)。一方、三春久平大坂儀四郎らの北海道商業美術家協会三越に事務所を置き、開館したばかりの三越で第一回「商業美術展」を七年九月二十五日から十月二十日まで開催する。同協会は、十六年まで活動したという(霜村紀子 北海道商業美術家協会の活動について)。また九年には北海道広告美術協会もあった(北タイ 昭9・12・9)。九年七月発行の『北海道倶楽部』(第三号)には、観光と郷土の工芸振興に関わり、「北海道の新興陶業に就て」「郷土産業、道産美術工芸の新興」などの論説が掲載される。
 商業美術は、モダニズムの文化とデパートに象徴されるこの時期の商業とを橋渡しするものであった。