第八編 転換期の札幌
第七章 社会生活
第一節 札幌市民の生活史
二 日常の市民生活
札幌市民のライフサイクルについて少し考察しておこう。『札幌市統計一班』によると、昭和五年の婚姻数(札幌市内に本籍を有する者が夫または妻を迎えた件数)は一五七一組であった。また離婚の方は一九五組、その結婚数に対する比率は一二・四パーセントと、平成六年厚生省調べの三〇・一パーセント(人口動態統計)と比較してかなり低く、ひとたび結婚すればよほどの事の無い限り、生涯を一緒に過ごした。
次に出生数を見ると五六二七人で、男二八六一人、女二七六六人となっている。しかし当時の乳幼児の死亡率は高く、生まれても無事に育てるのが大変であった。同年には一歳未満の乳児七三三人が死亡しており、幼児の死亡も一歳が三〇一人、二歳が一四二人、三歳が八二人、四歳が四七人の計一三〇五人を数えた。これらに死産の二五五人を加えると、実に一五六〇人、つまり同年出生数及び死産数の合計五八八二人の二六・五パーセントにも及び、多くの夫婦が子供の死の悲しみを味わわされていたことがわかる。特に札幌の場合、男子の出生数の方が九五人も上回っているのにもかかわらず、死亡乳児七三三人のうち男子が四三九人と、女子の二九四人よりも一五七人も多かったことから、男の子は育てにくかったようである。そして札幌の平均的な夫婦についていえば、夫二十代中頃、妻二十代前半くらいに結婚し、三~五人くらいの子供をもうけ、夫が四十代、妻が三十代半ばになった頃、一番上の子供が高等小学校を卒業し、さらに一〇年も経てばそろそろ末っ子の卒業と上の子の結婚を迎えることになる。 しかし、表13に示したごとく、昭和五年に亡くなった三八五六人のうち、年齢階層別に分けてみると意外な事実が浮かび上がってくる。まず四歳までの乳幼児が三三・八パーセント、一三〇五人とずば抜けて多いが、五~九歳の少年少女になると三・五パーセント、一三五人、さらに一〇~一四歳も二・六パーセント、一〇二人とかなり少なくなる。もっとも結核にかかりやすい一五~一九歳ないし二〇~二四歳、二五~二九歳の青年は、それぞれ六・八パーセント、二六三人、九・三パーセント、三六一人、五・一パーセント、二〇〇人と死亡率が高くなっている。それより上の階層は五〇歳代後半に至るまで、三パーセント強ないし四パーセント強、一二〇人ないし一六〇人というところを推移し、六〇歳代の七・七パーセント、二九八人も、他の階層と同じく前半・後半に分ければ、増えたとはみなせない。この表が示してくれているように、札幌市民の死因の第一位が結核、第二位が肺炎・気管支炎など、第三位が脳膜炎・脳出血・脳軟化と腸炎などの消化器疾患であった。乳児の死亡率の高さ、それに結核を含む呼吸器系統の疾患で青壮年層の多くの命が失われていたことが知られる。
|