第八編 転換期の札幌
第六章 社会運動と女性問題
第四節 女性の問題と自覚的運動
一 札幌の女性の社会参加
「時代の覚醒と共に女性向上の叫び高き今日、北海タイムス社の婦人見学団を催された事は我等女性の為に最も喜ばしい事である。圧迫されて居たゴム鞠が一時にはづむ様に屈従の運命の笞に縛られて居た女性が今や新生に目覚めて、何物かを、求めつゝある時御社の此の催しは、確かに、女性向上への一つの大きな導火線であらねばならぬ。私は喜んで御社の此の催の度毎に参加申し込んだ」(北タイ 昭2・1・1)。これは、大正十四年(一九二五)六月に北海タイムス社が第一回婦人見学団を募って以来、二年間に一二回開催、それに参加した女性の感想文の一節である。家の中にとじこもりがちな女性たちは、感想文にあるように何か時代の躍動を感じつつ、「新生に目覚めて」模索している最中、新聞社の企画にす早い反応をみせ、「雪崩うつ」申込み状況であった(北タイ 大14・6・26)。第一回見学団に参加した女性は、新知識の吸収に感謝と感激の感想文を寄せるものが多かった(北タイ 大14・7・10)。表13は、第一回から第一二回までの見学団の見学地を示したものである。市内をはじめ、小樽、石狩方面へと広がり、募集人数も五〇〇人におよぶこともあった。なかでも第三回の見学地は、真駒内種畜場で、丸髷に着物姿の幼い子供連れの若い女性が多いことが写真からもうかがわれる。この日は家畜と戯れ、デンマーク人模範農家ラーセン氏からデンマークの婦人運動の話を聞き、田上義也氏のバイオリンに酔いしれ、秋の紅葉狩りを楽しんだ(北タイ 昭2・1・1)。
![]() 写真-14 第3回婦人見学団 大正14年10月8日真駒内種畜場にて(北タイ 昭2.1.1)
この後も婦人見学団の人気は高く、昭和十三年の八三回まで継続した。一四年間に一万六〇〇〇人以上が参加したという、女性の社会的見聞を広めようとする貧欲なまでの意欲がうかがわれる。 |