札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第五章 農業の再編成と工業化の進展

第二節 酪農と畜産

二 畜産

 養狐に適した地域は、比較的寒冷で湿気の少ない所とされる。海外では、カナダ、アメリカ合衆国、ノルウェー、フィンランド、日本では北海道・樺太が最適地とされた(養狐について)。特に樺太は気温と豊富な飼料に恵まれていたため、樺太庁は養狐業を「将来有利有望なる畜産業」とし、「樺太特有の一産業」(最新狐飼育)たるべく指導奨励した。その結果、樺太において養狐業を営む者が増加し、昭和三年十月二十三日樺太養狐協会が設立された。ここにきて、養狐業はようやく新産業として認識され、「事業として大規模に、或は農漁村、又は俸給生活者の副業として営む者」(同前)が続出した。一方、樺太とともに養狐業の最適地とされた道内では、大沼養狐場(七飯村)が大正六年(一九一七)にカナダから狐を輸入し、飼育に成功している(樽新 大15・2・16)。以来、道内でも養狐業を営む者が増え、昭和八年九月二十三日、北海道養狐協会が設立された。養狐業の発展は「道産業の振興に資し我国益を増進する」ものであるが、業界の無統制は世界的不況の影響を受けて養狐業の不振を招いた。そのため、同協会はこの設立にあたり「統制を図る」ことを第一の目的とした。具体的な事業として、以下の事を掲げている。
一 会員の生産する狐毛皮の販売斡旋
二 種狐の販売、交換、賃借の斡旋
三 養狐に必要なる材木、金網、飼料、薬品等の購買斡旋
四 養狐に関する講習会、講話会、展覧会、品評会、共進会及び即売会の開催
(北タイ 昭8・9・25)

 養狐の飼育には、高燥で日当たりがよく、あまり人畜の近付かない静かな場所が良いとされる。札幌では大正九年、軽川に養狐場(東京高田商会経営)が創立している。これはのち(昭5)、早川頼房高田商会より飼狐、土地、設備等一切を譲り受け、種狐の分譲よりも毛皮を売ることを主な目的とした(郷土調査資料 手稲町軽川小学校)。札幌で多く飼育されている銀黒狐の種狐の価格は、昭和六年現在一番(つがい)六〇〇~一〇〇〇円、毛皮は一枚二〇〇~五〇〇円となっている(養狐について)。生産された毛皮の優良品は、ほとんどが欧米各国の大都市等海外に輸出された。昭和初期、国内における需要はようやく高まりを見せてきたに過ぎなかった。しかし、毛皮の需要は年々増加し、昭和十年には「世は毛皮時代」(樽新 昭10・2・16)、「毛皮時代の出現」(樽新 昭10・7・1)といった言葉に見られるように毛皮が大流行した。この流行はさらに養狐業者を増加させ、「隣家から隣家へと狐の一番ひでも飼育しなければ肩身が狭い位に大衆化」(樽新 昭10・2・16)した。旭川市、釧路市、室蘭市を除く全道で養狐業が盛んとなり、昭和十年現在飼育者は一四七カ所、養狐数一七三六頭に達している。中でも最も盛んな地域は石狩支庁管内で、養狐数は四〇五頭、次いで渡島支庁の一七八頭、函館市の一七七頭、札幌市の一七〇頭となっている(樽新 昭10・7・1)。『札幌郊外・円山町・琴似・軽川・明細図』(昭13)には札幌の養狐場がほとんど記載されている。それをまとめたのが表44である。円山では滝ノ沢、旭ヶ丘、円山第二小学校裏、山鼻では南二四条石山通附近(図1)、手稲では軽川に多い。養狐は、前述したように環境上の関係から地域が限定されるため、同じ場所に養狐場が集中している。
表-44 札幌の養狐業
名称場主所在地
小西養狐場小西開三円山滝ノ沢
大北養狐場鈴木与志雄円山滝ノ沢
札幌旭ヶ丘養狐場山下万平円山町旭ヶ丘
村山養狐場 円山南10の6
国際養狐場中野三次郎第二学校裏
中田養狐場 南11の28
伏見養狐場小林鈕之助藻岩伏見
阿部養狐場阿部政身伏見台
長谷川養狐場 伏見台
能中養狐場 円山510
小西養狐場小西久松南16
札幌養狐場林雄次郎南24西12
石田養狐場石田平治南27西12
川口養狐場川口長作南25西12
大塚養狐場 南23西9(第一飼育所)
 南4西11(第二飼育所)
佐藤養狐園 南25西12
西崎養狐飼育技術研究所西崎徳松南24西12
山鼻養狐場北出南25西12
小野養狐場小野初子南25西12
手計養狐場手計宗平南25西12
大場養狐場大場留治南29西10
海保養狐場海保正三南24西12
帝国種狐合資会社 南24西11
伴養狐場伴 政雄琴似山手通
軽川養狐場早川頼房札幌市外軽川
中崎養狐場中崎正敏札幌市外軽川
札幌郊外・円山町・琴似・軽川・明細図』(昭13)より作成。


図-1 南24条石山通付近の養狐場案内図
札幌郊外・円山町・琴似・軽川・明細図』(昭13 部分)

 昭和十四年十月、毛皮の処理統制を行う機関として日本養殖毛皮株式会社が設立された。政府は養狐を重要輸出産業の一つとみなし、毛皮の積極的増加を図った。生産補助の名目の下に、輸出用の毛皮一枚当たり一二円六五銭の補助金を、昭和十五年には一七円五〇銭に増額している(樽新 昭15・1・29)。しかし、札幌の主な養狐業者は「日中戦争拡大による国際的条件、貿易不振の打撃をうけて」この年の末には完全に廃業に追い込まれている(平岸百拾年 昭56)。円山西町地区の養狐業者も昭和十八年、「戦時体制と飼料不足のため」一斉に廃業した。ただ、双子山町地区の養狐場だけは、昭和二十二年まで続いている(円山町百年史)。