第八編 転換期の札幌
第五章 農業の再編成と工業化の進展
第一節 農業
一 農政の展開と札幌の農業
既述したように、深刻かつ長期的な農業恐慌に加えて、北海道を連続して凶作が襲ったことにより、日本農業と農村のこうむった打撃は決定的なものとなった。「農村の疲弊」が耳目を集めたのはまさにこの時であり、第六二臨時議会(時局匡救議会 昭7・6)、第六三臨時議会(救農議会 昭7・8)において、農村救済のための対策が審議された。そして、後者において決定された農村救済政策に基づき、農山漁村経済更生運動(昭7)、救農土木事業(昭7~9)、産業組合拡充五カ年計画、米価統制法、農村負債整理事業(以上昭8)等が相次いで実施された。
これらの事業の内、農山漁村経済更生運動、産業組合拡充計画及び農村負債整理事業はいわば一体のものとして進められたが、まず農村負債整理事業についてとり上げたい。表3は、札幌地域の農家負債状況に関する道庁の調査結果を示したものであるが、各市町村の農家総戸数(後述)に占める負債農家戸数の割合は、札幌村五〇九戸中四六三戸(九一・〇パーセント)、篠路村四二九戸中三九八戸(九二・八パーセント)、琴似村八二九戸中六八五戸(八二・六パーセント)、手稲村五四三戸中四五〇戸(八二・九パーセント)、藻岩村三五四戸中二七五戸(七七・七パーセント)、豊平町一一三六戸中八八九戸(七八・三パーセント)、白石村七九五戸中七九三戸(九九・七パーセント)、札幌市五八四戸中三一八戸(五八・〇パーセント)となっている。札幌地域全体では農家総戸数五一四三戸中負債農家戸数四二七一戸(八三・〇パーセント)であり、一戸当たり負債額は六八三円であった。
昭和八年八月、農村負債整理組合法が実施されることになり、各市町村ごとに農村負債整理委員会が設立され、その下に農事実行組合を基本に農村負債整理組合を設け、金銭債務調停法で条件緩和を行い、各戸の更生計画を樹てて、低利資金供給によって借入金を整理することになった。表4は、札幌地域の負債整理組合の概況を示したものである。この内、篠路兵村負債整理組合について述べた『屯田部落七十年史』によれば、篠路兵村内の五つの農事実行組合の協力の下に負債整理組合(無限責任篠路兵村負債整理組合)が結成されたのは昭和九年十二月のことであった(昭10・1・22認可)。当時の当該区域内の住民及び組合員の負債状況は、負債世帯数一二一戸、うち組合員六九戸、負債総額一四万五八〇〇円、うち組合員負債総額七万四五一六円であり、組合員一戸平均約一〇〇〇円の重圧に苦しめられていた。しかし、負債整理組合の設立とともに条件緩和を行い、負債額は三万八八九六円に減少した。負債整理組合ではその償還計画として、負債元金総額の二〇〇分の一ずつ毎年度年賦金支払期日までに積立てる計画を立てた。なお、負債整理組合設立に当たり、村当局や村農会の協力を得たこと、及び「わが屯田部落の負債整理組合は比布負債整理組合などとともに優良組合とされた」ことをつけ加えておく(屯田部落七十年史)。
次に、農村経済更生運動について述べなければならないが、まずその推進体制をとり上げると、農林省に経済更生部(総務、産業組合、金融、副業の四課)、道庁の産業組合課に金融、経済更生の二係が設置されたが、あわせて中央と道と支庁と町村に経済更生委員会が設置され、農林行政の全般に渉る諮問機関として官民協力の形で働くことになった。札幌地域の経済更生委員会の内、設置年月がはっきりしているのは、琴似村(昭7・10)、札幌村(昭10・1)、篠路村(昭10・2)のみである。 ところで、農村経済更生運動を町村段階で担ったのは、町村行政と表裏一体をなす町村農会であり、その下部組織をなす農事実行組合であった。また、昭和七年九月産業組合法改正により、農事実行組合を簡易法人として産業組合への加入を認め、従来、出資金の負担過重などで未加入の零細農家を傘下におさめる途をひらいたため、産業組合拡充計画と農村経済更生計画とがやはり表裏一体の関係をもつことになった(森正男 北海道産業組合運動史 昭25)。こうして、農事指導の面では町村農会―農事実行組合が、経済事業の面では一町村一組合に再編成された産業組合―農事実行組合が、これらの運動・計画の実行を担うことになったわけであるが、より大きく言えば、第一次大戦以後における北海道農業の再編を町村段階で担ったものこそ、町村農会、町村産業組合、農事実行組合といった農業団体であった。これら農業団体の動向については後述することにして、ここでは昭和十三年に刊行された篠路村役場『第一期(自昭和十四年至昭和十八年)経済更生計画書』を素材に、札幌地域における農村経済更生運動を見ておく。第一に、「経済更生計画樹立ノ経過」によれば以下の通りである。 本村ハ農業合理化方針並ニ経済更生計画樹立方針ニ則リ本村ノ経済更生上必須事項ノ実施計画ヲ樹テ実行中ノ処、昭和十年一月十九日(中略)昭和十年度経済更生計画樹立村トシテ指定セラレタリ、仍テ同年二月一日篠路村経済更生実行委員会規約ヲ制定シ、村会議員、小学校長、農事実行組合長、区長、常設委員、在郷軍人分会長、僧侶ヲ委員ニ委嘱シ、役場吏員、農会、産業組合、農検職員中ヨリ夫々幹事ヲ嘱託シテ以テ本村経済更生計画実行委員会ノ体制ヲ整備セリ(中略)本村経済更生計画樹立ノ大綱並ニ基礎調査ノ要項ニ就キ慎重協議ヲ遂ゲ(中略)約一週間ニ亘リ農事実行組合毎ニ懇談会ヲ開催シテ基礎調査並ニ各戸及部落ノ更生計画樹立ニ関シ協議セリ。其ノ後廔次部落毎ニ又ハ部落連合ノ協議会ヲ開催シテ本計画ノ樹立実行ニ関シ具体案ヲ考究本年漸ク成果ヲ得ルニ至レリ。 第二に、「更生計画」については、章・節のみを掲げると、「一 農村精神ノ振作並ニ教育ノ振興(略)、二 農業経営改善(主要農作物ノ増殖、家畜家禽ノ増殖改善、耕種肥培ノ改善、労力利用ノ合理化、農業簿記設計ノ普及)、三 土地改良(排水施設、客土事業、酸性土壌ノ矯正)、四 防護樹ノ植栽(略、以下同じ)、五 備荒施設、六 負債整理、七 生活改善、八 産業組合事業ノ拡充、九 自作農創設維持、十 運輸交通」となっている。 第三に、「計画実行並ニ督励方法」を見ると、「村経済更生計画実行ノ指導督励ニ当リ各機関ノ連絡協調ヲ図リ、計画実行ノ統制ヲ為スモノトス」とあり、町村役場、農会、産業組合、小学校がいわば「四本柱」に位置づけられた(表5。なお農村経済更生運動については、武田勉・楠本雅弘編『農山漁村経済更生運動史資料集成Ⅰ』の「解題」及び前出「北海道における農村経済更生運動の展開」を参照)。 ![]() 表-5 農村経済更生運動の実行体制(篠路村) 篠路村役場『第1期(自昭和14年至昭和18年)経済更生計画書』(昭13)より作成。 ところで、『篠路農業協同組合三十年史』(昭54)は、上述した篠路村の経済更生計画に対して、「村の運動に具体的に見るべきものがほとんどなかった。つまり、始動が遅すぎた」という評価を与えている。 |