札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第三章 都市計画と社会資本整備

第四節 国内交通機関の発達と通信

一 鉄道網の発達

 以上の鉄道敷設の他に、札幌周辺では実現しなかったが、いくつかの鉄道計画が立てられた。鉄道省の計画では、前述の白石~追分間が大正十二年度分の計画の中にはいっていたという。これは大蔵省での金の出し具合では可能らしいという懐疑的な報道がなされている(北タイ 大11・10・14)。また札幌~増毛間の計画もあったが実現しなかった。
 大正八年六月二十二日、北海中央電鉄株式会社が手宮~安平間の地方鉄道敷設を申請した。しかし前述のように同区間は北海道(鉱業)鉄道の苗穂~沼ノ端間と競合するため、九年四月第一期線手宮~中島公園地と第二期線中島公園地~安平間に分けて免許を受けたいと申請しなおした。しかし八月中島公園地~安平間は、原総理大臣宛の沿線住民からの実現請願も出されたが、「別途免許案経伺ニ係ル北海道鉱業延長線ノ免許セラルルニ於テハ敷設ノ必要ナキモノト認ム」と却下が達せられた。一方、手宮~中島公園地間は四月九日に出願し、五月六日付けで「地方開発并産業振興上有益ナル企業ナルノミナラス」「投下資本ニ対シ相当ノ収益アルヘク」として免許された。しかし当初予定の資本金七〇〇万円が集まらず、五〇万円に変更した(自大9至昭2 鉄道省文書 国公文)。その後十五年頃敷設の権利を北海水力電気株式会社に譲渡した。北海水力電気では、王子製紙などと相談の上、資本金五〇〇万円以上の新会社を組織して施行する方針を示した(北タイ 大15・12・12)。昭和二年になるとルートの測量も完了し、工費の概算も出て、完成には両三年という見通しも報道されるようになる(北タイ 昭2・3・7、15)。しかしこの計画は実現しなかった。
 定山渓温泉電気鉄道株式会社が大正十四年六月、小樽市~朝里村~定山渓間の電気鉄道敷設の免許申請をした。しかしこれは十五年十月「目下ノ交通状態ニ於テハ敷設ノ必要ナキモノ」として、却下された(大15 鉄道省文書)。
 昭和五年六月には北海道電気鉄道株式会社が、弁辺村(省線弁辺駅、現豊浦駅)~真狩村・喜茂別村~定山渓市街間の電気鉄道敷設免許を申請した。しかしこれも六年十二月「大部分別途経伺ニ係ル洞爺湖電気鉄道虻田村東倶知安村間延長線ニ茲行シ、之カ免許ノ上ハ更ニ敷設ノ要無ク。爾余ノ区間ハ目下ノ交通状態ニ於テ敷設ノ要ヲ認メス」として却下された(昭6 鉄道省文書)。この方面の鉄道は、七年七月にも札幌虻田間鉄道として札幌商工会議所総会で実現促進が決議された(北タイ 昭7・7・30)。しかしこの後の行方は不明である。
 このほかに、札幌と小樽の両区会や両商業会議所などが建議を提出した小樽札幌間の電車計画がある。これは、鉄道院の札幌小樽線に電車を走らせるという計画であるが、大正九年のはじめ頃さかんに新聞をにぎわす(北タイ 大9・1・8など多数)。しかし鉄道院の「小樽札幌両地方以外の旅客多き都市あるも是すら電車敷設計画思ひも依らず」「両地の電車敷設は今日の処全然問題となり居らず」という回答(北タイ 大9・3・30)以降、この行方は不明である。この計画と入れ替わる形で前述の北海中央電鉄の電車計画が許可されている。
 昭和二年には札幌小樽間に架空電車の計画が新聞に報道される(北タイ 昭2・12・17、小樽新聞では高架懸垂式電車 樽新 昭2・12・19)。