札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第三章 都市計画と社会資本整備

第三節 市内の交通機関

 以上のような交通機関の他に、実現しなかったが、札幌の市内交通機関として計画されたものがあった。
 まず大正十四年九月、定山渓鉄軌株式会社から定鉄真駒内駅~省線桑園駅間の軌道敷設が申請された。この路線は札幌電気軌道会社が申請した中島公園北五条間の路線や、北海中央電鉄が申請した中島公園小樽市手宮間の鉄道路線、さらに前述の札幌温泉電気軌道の琴似線と路線が競願したこともあり、昭和六年になって「目下の交通状態に於て敷設の要なきものと被認」として却下された。
 ついで月寒電気軌道合資会社が大正十四年十二月十九日、豊平三条九丁目~白石南郷畑六五九番地までを申請した。昭和六年になって、やはり「目下の交通状態より見て既設の必要なきものと被認」として却下された。
 さらに札幌郊外電気軌道株式会社が昭和五年十二月十一日に豊平三条三丁目(市電豊平二丁目停留所前)~豊平三条九丁目(定鉄豊平駅前)間を申請した。これも昭和六年「目下の交通状態に於て敷設の要無きものと被認」として却下された(昭和六年鉄道省文書 国公文)。
 最後に、札幌鋼索鉄道株式会社が昭和五年十二月二十六日、円山村の円山の双子山側から頂上ヘケーブル・カー敷設を申請した。しかし十年、「利用者僅少に止まり到底収支償はざるものと被認」として、やはり却下された(自昭和九年至昭和十年鉄道省文書 国公文)。