札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第三章 都市計画と社会資本整備

第一節 札幌の発展と都市計画

四 都市計画事業の開始

(三)札幌都市計画公園の決定

 美香保公園は、総面積二万五〇四一坪で、園内北部に一周四〇〇メートルの陸上競技場と軟式野球場二カ所を設け、南部には児童遊戯場、庭球場、弓技場を設け、周囲には風致と風防をかねて幅一〇メートルの植樹帯を設けるという構想であった。
 都市計画事業美香保公園設営工事は、十五年度国庫から七〇〇〇円、地方費から七〇〇〇円の補助があったが、十五年度から二カ年継続事業として工事費一〇万七一五六円であった。二カ年で寄付以外の二万二〇〇〇坪の用地買収、整地事業等を行い完成させる予定であった。しかし整地の一部が完成せず、十七年度に繰り越して施行した。十八年三月、事業期間を一カ年延長して、家屋移転を完了していなかった分を札幌市が買収して完了した(昭和十五~十九年札幌市事務報告)。しかし戦争状況の進行に従って、公園に軍の陣地兵営を築かれたり、市民の自給園となって公園として機能しなくなった(札幌市都市計画概要)。
 白石公園は、総面積一一万八五八〇坪の内約七万二〇〇〇坪を運動公園とし、他は市民農園に利用する計画であった。運動公園には中央部に陸上競技場と野球場を併設し、周辺に庭球場、相撲場、水泳場、体育館と逍遥園等を施設する大運動場を計画した。事業は道庁長官が施行することになっていた。戦局の進捗のために防空緑地用として七万二〇〇〇坪の用地を買収するにとどめ、十七年度に完成した(札幌市都市計画概要)。
 豊平公園は、当時の札幌豊平町美園にあり、都市計画街路広路七号線と二等大路二三号線に挟まれた二万三六七〇坪を予定していた。計画では一周四〇〇メートルのトラックをもつ陸上競技場、庭球場、水泳場、硬式野球場、児童遊戯場を設け、その外に約三三〇〇坪の逍遥園を配した休養公園をかねた運動公園であった。都市計画事業としては、豊平緑地設営工事とも呼ばれ、公園名も豊平緑地公園とも呼ばれている。面積二万五一五三坪、総経費八万八八七二円で計画された。しかし実際の事業は、戦時中の食糧事情もあり、農地である用地の買収は困難で、十七年度一部用地の買収を終わったほかは交渉妥結せず、引き続き買収交渉を行っていた。十八年度、十九年度と二度一カ年の延期をしたが、この公園を含む一帯が十九年度に東札幌土地区画整理区域に決定した。そのため同事業の替費地(現在の保留地に相当する)として買収することになった(昭和十八年札幌市事務報告、札幌都市計画概要)。
 琴似公園琴似緑地公園とも呼ばれ、当時の札幌琴似町大字琴似村にあった。三カ年継続事業で、面積二万二四坪を計画し、当面の事業は用地の取得と支障物件の移転除去とし、種々の施設については、時局の安定と札幌市の財政状況を見て運動公園として整備することにした。十九年三月琴似町施行の琴似第一土地区画整理事業が決定されて、その替費地として確保されることになり(札幌市都市計画概要)、仮換地処分により取得した(札幌市事務報告 昭19)。しかし、やはり戦局の進展で区画整理事業が中止状態となり、用地の取得は進まなかった(札幌市都市計画概要)。
 伏籠公園は、伏籠緑地公園ともいわれ、札幌村字元村と苗穂にまたがった地域であった。面積三万四五一一坪で、運動公園、児童遊戯場、逍遥園をかねた公園とする計画であった。当面は防空緑地としての用地確保にとどめ、三カ年事業で用地買収と支障物件の移転を行うことにした。十九年度には九割九分の用地買収を完了したが、そのまま終戦を迎えた(以上各年の札幌市事務報告、札幌都市計画概要)。