札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第二章 市制施行と行財政

第八節 兵事

一 市民の兵役

 徴兵検査に合格すると十月に兵役証書が交付され、現役兵となった者には約半月間、補充兵には約一週間の予備教育が十一月に在郷軍人会札幌分会(現中央区大通西二丁目)で行われる。そして現役兵については十二月に札幌市の入営送別会が催された。これは同年の除隊者の歓迎会とあわせて行うのを恒例とし、大正十二年についてみれば次のような次第であった。
 札幌市入退営者送迎会ハ十二月二十日午前十一時半、市役所楼上ニ祭壇ヲ設ケ、本年度入営者百七十三名、退営者百十六名中、出席セルハ入営者九十三名、退営者四十三名。沼田聯隊区司令官、松本分会長以下分会幹部、松田市会議長以下各市会議員ヲ来賓トシ、三橋社司修祓、佐藤社司降神詞ト祝詞ヲ上げ、市長、退営者総代、入営者総代ノ順ニテ各参拝シ、昇神ノ祝詞アリテ司会者高岡市長ノ挨拶アリ。続イテ市会議員総代松田市会議長、分会総代松本分会長、沼田聯隊区司令官ノ祝辞アリ。退営者総代本田軍曹、入営者総代塩崎礼三郎氏答辞ヲ述べ、市長、入退営者総代、松田議長等順々神前ニテ神酒ヲ賜ハリ、厳粛裡ニ式ヲ閉ヂ、立食ノ饗応アリテ散会。
(札幌市公報二五 大12・12・10)

 入営者の送別会激励会は青年学校後援会や男女青年団でも行い、志願兵の送別会は別個開催された。
 こうして翌年一月十日が入営日と定められていた。札幌市の現役兵の大半は旭川市の第七師団に入営したから、前日に汽車で旭川入りし、一泊してから親類知人に見送られ入営する人が多かった。一部は豊平町の陸軍歩兵第二五聯隊に入り、わずかではあるが函館(砲兵)、東京(近衛兵)へ向かう人もいた。満州事変の緊張がみなぎる昭和七年の入営日の様子を新聞記事からうかがうことにする。
 歩兵第二十五聯隊の所在地札幌市では、この日(注・一月十日)午前七時市役所前と豊平橋の二ヶ所に集合した八十七名の市の壮丁をトップに、前日来市内各所に分宿中の管内壮丁はそれぞれ各町村毎に兵事主任に引率されて営門前に集合した。
 ひと時小雪を見たが、日曜に幸されて市内近村から繰り出した見送人は三千を越へ、近年にない賑かな入営日であった。殊に満州事変の影響か最近殆ど影を潜めた「祝入営」の旗が一時に復活し、市の壮丁の如きは一人平均三、四本の旗に取囲まれる有様。数百本の旗幟が勇ましく林立して、流石に送る人も送られる壮丁にも一種の緊張味が窺はれた。
 午前八時開門、例年の如く札幌室蘭両市を始め、胆振、浦河、石狩各支庁は第一雨天演習場、空知支庁は第二雨天演習場に於て、篠原札幌聯隊区司令官以下立会の上人員の点検を行ひ、午前十時には全部各中隊に配属された。本年度入営兵は七四四名で、この外に一人の所在不明者があったが、これとても昨年の三人、一昨年の八名と比べて非常な好成績で、国民精神の緊張の程が偲ばれた。
(北タイ 昭7・1・11)

 陸軍現役兵の在営年限は三年だったが、平時にあっては短縮して除隊となることもあった。「月寒歩兵第二十五聯隊の軍縮第一回の除隊兵は、昨朝々食と共に帰郷せるが、其数二百七十余名にて、除隊兵の銓衡は七師団長の命を受け、一箇中隊より二十二、三名宛、成績佳良の者を除隊せしめたるものにて、更に今秋十月を以て二年兵の除隊を試む可し」(北タイ 大11・8・16)という例もある。歩兵の二年帰休が広まった結果、昭和二年の改正で現役を二年とするに至った。青年学校(訓練所)の卒業生にはさらに在営期間の短縮がはかられた。