札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第二章 市制施行と行財政

第六節 諸町村の行財政と町村会

五 戦時下の町村行政

 内務省は、地域の住民組織を国家総動員体制の最末端の組織とする方針の許で、十五年九月十一日に「部落会町内会等整備指導に関する訓令」を出した。その目的とするところは、住民を組織して「万民翼賛の本旨に則り地方共同の任務を遂行」すること、国民の教化と精神的団結、国策の普及と「円滑なる運用」、統制経済の運用などであった。そして整備要項によると、市町村の区域を分けて全戸加入の村落には部落会、市街地には町内会を組織することとされ、部落会町内会には常会、隣保班(隣組)を設けることとされていた。また、必要に応じて聯合会の設置も認められていた。これを受けて道庁では十一月二日に「町内会部落会規則」(庁令第一一一号)を公布し、各町村に部落会町内会等の設置を求めた。この結果、従来の区は部落会町内会に改組され、これまでの衛生組合、火防組合などもこれらに統合して、道内すべての市町村に十六年までには設置をみるようになる(新北海道史 第五巻)。
 琴似村では十五年十一月二十三日に町内会部落会等の設置につき協議されていたが(北タイ 昭15・11・26)、十五年十二月五日に「町内会部落会設置規程」を設けた(昭和十六年琴似村勢要覧)。規程では町内会部落会を教化、産業、経済、警防、保健、衛生、社会施設、銃後奉公などの事項を行う機関とし、これにより全村で三八の町内会部落会、三〇七の隣保班が設置された。また中央町内会聯合会(川添東・西、二十四軒北・西・南・東の各町内会からなる)及び盤渓、西部、東部、発寒、新川、新琴似、篠路の七部落会聯合会も設けられることになった。この結果、十六年二月にいたり区設置規程が廃止となっている(北タイ 昭16・2・15)。
 豊平町でも十五年十二月に区が廃止され、町内会部落会に移行している。『豊平町開町七十周年』(昭16)には、以下の五七の部落会長の人名を記しているが、二、三の欠落は予測されるものの、部落会の設置に関してはおおよそ以下の通りであったとみられる。
豊平村 月寒本通第一~三 北部軍官舎 下・上西北通 東北通 下・上西山 西通 二里塚 種羊場 厚別北通 厚別本通 三里塚 厚別南通 公有地 器械場 東裏 中島 下・上本村 精進川 真駒内 土場 石山第一~四 石山精鑛場 穴ノ沢本通 南穴ノ沢 藤ノ沢 上・下野々沢 東簾舞 御料 砥山 宮ノ下 宮ノ上 滝ノ沢 一ノ沢 定山渓第一~六 定山渓農地 白井川 水松沢 豊羽鑛山 簾舞聯合 定山渓聯合
 各町内会部落会では毎月定例日に常会を開き、村常会からの指示事項の周知徹底、金品の割当と徴収、さらには地区の問題などについて協議していた。白石村では部落常会の「式次」を以下のように指導していたという(昭和十六年白石村村会議決書及会議録)。①著席、②開会、③修礼、④遥拝・礼拝、⑤国歌斉唱、⑥詔書奉読、⑦黙禱、⑧司会者挨拶、⑨協議・懇談・申合、⑩講演・講話、⑪修礼、⑫閉会、⑬解散。
 篠路村烈々布でも十五年十二月に部落常会が設置されたが、部落会の組織は会長、会長代理、総務、教化、産業、経済、警防、社会、衛生、銃後奉公、経理、家庭防火、健民、納税などの部からなり、各部にはそれぞれ部長が置かれていた(烈々布部落会 役員名簿)。会長、部長などの役員には手当が支給されていた。また、各戸は一〇前後の班に編成されていたようである。烈々布部落会には十九年一月から二十一年一月までの「常会日誌」(烈々布会館蔵)が保存されているが、それによると常会は毎月二十八日に開催され役員の選出、各種事業の決定、銃後奉公、物資の供出、地区内の道路修繕、神社祭典などのことが話し合われていた。常会は終戦後も二十年十二月まで部落会として機能していたが、二十一年一月に新たな部落会に改組されている。