札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第二章 市制施行と行財政

第五節 「札幌圏」の形成と諸町村

三 諸町村の基盤と構成

 表17は大正九年から昭和十四年までの諸町村の生産額の推移を示したものである。大正期までは割合と農業生産が安定しており急激な変化はみられず、札幌、琴似、手稲、豊平、白石の町村が一〇万円台を超える生産額を示していた。生産額のうち農産額がいずれも最も多くを占めており、十四年の場合でみると篠路、藻岩村では八割に達しており、他の町村も鉱産額の多かった手稲村を除きほぼ六割を超えている状況である(図4参照)。
表-17 各町村の生産総額 (円)
 札幌篠路琴似手稲藻岩豊平白石
大9
 10
 11
 12
 13
 14
 15
昭2
 3
 4
 5
 6
 7
 8
 9
 10
 11
 12
 13
 14
1,002,758
1,193,431
835,440
838,017
1,218,702
1,359,718
1,413,689
1,634,934
1,533,556
1,657,723
1,744,620
1,528,405
1,724,836
1,501,287
621,403
753,631
1,057,419

1,578,987
2,312,496
471,635
445,005
269,413
365,077
443,941
466,446
452,242
507,847
471,226
447,198

197,768
301,687
418,865
413,311
477,843
565,366

947,023
1,383,509
1,392,365
1,385,560
1,322,004
1,429,391
1,534,187
1,524,193
1,500,145
1,431,734
1,589,367
1,389,401
815,356
773,400
664,336
1,064,702
1,413,734
1,157,132
2,720,892
1,204,957
5,755,269
7,370,584
1,044,832
1,097,185
786,691
913,332
1,139,458
1,719,453
991,703
1,161,151
1,431,495
590,227

359,831
1,135,986
1,072,111
1,214,507
1,355,826
792,308

2,819,703
3,362,368
404,399
354,271
413,981
396,304
477,895
462,095
428,946
510,661
425,631
422,886
414,197
222,908
291,694
337,115
312,837
304,937
282,984

606,608
925,716
2,284,746
1,717,514
1,251,163
1,339,371
1,511,017
1,542,431
1,347,303
1,485,045
1,899,787
1,508,794
1,193,577
880,034
1,207,843
1,795,983
1,810,342
1,821,406
5,007,399

3,127,208
5,040,179
1,172,887
1,317,495
1,265,887
1,399,837
1,559,032
1,567,470
1,383,464
1,347,132
1,390,223
1,200,875

395,900
863,299
1,494,050
1,688,963
1,612,006
1,807,280

3,115,912
2,693,969
石狩支庁管内要覧』及び各町村要覧等より作成。

 これが昭和に入ると五年から九年にかけての大凶作の影響を受けて、大きな落ち込みをみせるようになる。特に六年の落ち込みがひどく、大正十四年と比較すると手稲村は二五パーセント、白石村は三四パーセントにしか達しておらず、篠路村、藻岩村豊平町も五〇パーセントを切っている状況であった。特に水田地帯の農村が大きな痛手を受けていた。この状況が数年続いた結果、農家は窮乏をきわめて負債も増大し、農村は疲弊することになる。町村は税収の不足、救済土木工事の実施などにより財政赤字が深刻となり、社会的にも暗い影を落とすようになる。こうした状況も十年あたりからほぼ回復し、逆に十三年からは戦時体制下における食糧の高騰の影響を受けて好況に転じ、農産も空前の高い生産額を示していくようになり、生産の拡大などにより鉱工産も大幅に増大していく。
 図4から町村別の産額の内訳を大正十四年と昭和十四年を比較しながらうかがってみよう。大正十四年は各町村とも農産が主要であったが、札幌、琴似、白石村などは工産の割合も高かった。手稲村は鉱産が四九パーセントを占めていた。畜産が一〇パーセントを超えて割合と多かったのは札幌、手稲、藻岩、白石の各村、豊平町であり、また豊平町に林産が多いのは広大な御料林が存在していたからである。

図-4 各町村の産額内訳対照図

 これが昭和十四年になると鉱工産が飛躍的に伸びるようになり、琴似、手稲村は七三パーセントというように、藻岩村豊平町の伸びも著しい。琴似、藻岩村は工場の進出により工産が増大し、手稲村豊平町手稲鉱山豊羽鉱山の発展による鉱産の増大に起因している。その分、相対的に農産の割合が減少をみており、純農村を保っていたのは市街地を分離して札幌市に編入した札幌と篠路の二村のみであった。この十五年余りの間に諸町村の生産構成は大きく変化し、特に工産が増大している諸村は札幌圏へと包摂されていったことを示しているのである。