札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第二章 市制施行と行財政

第五節 「札幌圏」の形成と諸町村

一 「札幌圏」の形成

 札幌村は、「札幌市ニ隣接関係上、接続地域ハ逐年人口ノ稠密ヲ加へ殆ト市街地形成ヲ為セルノ情態ニアリ。為メニ附近大地積ヲ住宅地トシテ開放分譲ヲナス地主、漸次多キヲ加ヘルニ至レリ」(昭和四年村勢一班)といわれているように、大正後半から宅地化により人口が急増していた。特に創成川流域の新川添は石狩街道、札北軌道も走り交通に恵まれた地であり、さらには鉄北地区の発展、宅地化の波が及んできていた。新川添は大正十三年の市街地を形成する連担戸数が三一五戸、人口は一四八二人に達していたのである(北海道庁統計書 第四巻―警察・衛生。以下の市街地の連担戸数・人口は各年の同書による)。
 札幌村では明治四十三年にも村の一部が札幌区に編入となっていたが、その際に札幌村では新川添の編入を希望していたものの、札幌区では時期尚早として編入を見送っていた経緯があった。ただし、将来を見越して新川添の学齢児童に関しては、札幌区では無償にて受託教育を行っていた。当初は一〇〇人前後であったものが、新川添の宅地化により次第に増えて昭和八年には五九七人(他に高等科児童五二人)に達し、児童数からいえば一〇学級分にも相当していた(八年の新川添は五七二戸、三〇一二人)。これらの受託教育は札幌市にとってもあまりにも負担が多くなったために、市では昭和八年に①新川添区域の市編入、②札幌村での委託料支払、③札幌村での委託児童引取り、以上の三案を示して札幌村と交渉し、結局①の案で妥結したのであった(札幌札幌市境界変更関係書類)。札幌村でも一〇学級分の児童を収容するには一学校の設置が必須となり、この経費が四万二〇〇〇円、毎年の必要経費が八三〇〇円と見込まれており(北タイ 昭8・11・3)、今後の村の財政負担を考慮して編入に同意したものである。また、新川添地区のほかに併せて大字苗穂村、雁来村の市街地部分が編入されることとなった。

図-3 札幌村の札幌市への編入区域図(昭7.8調製,札幌札幌市境界変更関係書類)

 札幌村では編入と境界変更を、九年一月十二日の村会にて満場一致をもって正式に決定し、その後、二月二十二日に道参事会にて承認され、二月二十六日に内務省より認可となり四月一日から実施されることとなった。編入区域は大字札幌村字新川添全部、中通・元村の一部、大字苗穂村及び大字雁来村の一部、面積は〇・三三一方里であり、戸数六五九戸、人口四一三九人であった。札幌村は八三二世帯、四三一四人、苗穂村は二〇七世帯、一一〇五人、雁来村は一六六世帯、七三六人、合計一二〇五世帯、六一五五人が札幌市に編入となった(札幌札幌市境界変更関係書類)。編入区域には四月一日に北一一条から北二五条、各西一丁目から東一五丁目、苗穂町、雁来町の字名が新設された(道庁告示第四〇〇号)。
 編入の結果、札幌村は人口が一万二一三人から四一三九人となり、人口の約六割を失ったことになるが、これ以降、純然たる農村として新たに再出発することになる。