第八編 転換期の札幌
第二章 市制施行と行財政
第二節 行政機関の整備
三 行政組織
昭和十二年版『札幌市統計一班』(昭14・3・20発行)には、札幌市を紹介して「本道十一州の首都として、北海道庁及び主要の官公署多く此の地に在り」と述べ、市内に所在する表5の官公署を紹介している。これを大正七年に市内にあった主な官公署(市史 第三巻八八頁)と対比してみると、大きな差異のないことに気づく。すなわち、全道ないし道内広地域を管轄する国、道庁の出先機関のうち、主なものはほぼ区制期に立地を完了していたことになる。札幌市が政治行政都市であると呼ばれるのは、区制期における区長、区会の官公署誘致努力の成果とみることができるし、市制施行後の発展もこの上に実現したと考えられる。
表5において市制施行後に新設されたのは、昭和十二年「五月一日ヲ以テ開庁セラレタル海軍地方人事部ノ新設」(札幌市事務報告 昭12)と、昭和八年「政府ニ於テ実施中ナリシ飛行場新設工事ハ、此ノ年八月ヲ以テ竣工式を挙ケラレ、本道唯一ノ国立飛行場トシテ其ノ効用ヲ発揮シツヽアル」(同前 昭8)ものの二つにすぎない。 ところが、十二年の海軍地方人事部の開庁を皮切りに、次々と札幌市内に官公署が設置されることになった。十三年地方専売局が函館市から移転し、陸軍被服本廠派出所が新設され、いずれも旧市役所を庁舎として業務を開始した。前者は明治四十年まで札幌にあったが、その後函館に統合されていたものの再配置である。さらに市立職業紹介所がこの年国営に移管された。十四年に造幣局出張所、十五年帝室林野局林業試験場、北部軍司令部、十七年札幌酒精局、鉄道省札幌地方施設部、札幌電気電信工事局、札幌少年審判所、十八年札幌地方燃料局(酒精局改組)、北部憲兵隊司令部と新設されていった。 こうした官公署の新設ラッシュに加えて、民間企業と団体の経済機能に大きな変化が生じた。国家総動員法のもとで総力戦体制が組まれ、全道民の生産活動から消費生活まですべてを国が統制管理することになったため、全道を事業範囲とする民間企業と団体は統制政策の実施機関に再編され、半官半民的運営に変化せざるを得なかった。こうした民間企業と団体の多くは札幌市に所在していたし、また他市町村にあるものは支店出張所を札幌市に置くようになり、官公署と一体化した運営を行った。 この動きが札幌市の体質に新しい一面を加えることになる。従来から小樽市、函館市に比べ経済力が弱いと評されてきた札幌市であったが、統制経済政策がその欠点を補う役目を果たすことになった。官公署があって統制会社団体がある、その組合せが札幌市で成立したわけで、昭和十七年札幌市事務報告は「我ガ市勢ハ逐年躍進ノ一途ヲ辿リ、最近ニ於テハ本道政教ノ中心地タルニ加へ、経済界ノ枢軸ヲ占ムルニ至リ、各種ノ統制団体営団ノ事務所ヲ始メ、各種銀行会社ノ支店乃至出張所新設ヲ見ル等、異常ノ発展ヲ遂ゲツツアリ」と述べているのは、いささか政治的誇張はあるにしても、誤りではなかろう。もっとも「異常ノ発展」が市民生活の安定充実に結びついたかどうかは別問題である。 札幌市にある官公署として、市民に最も深くかかわった道庁も、戦時体制にあわせて機構の簡素化をはかり、庁員の約二割を南方や産業部門に転出させ、昭和十八年地方行政の地域的な連絡調整をはかる地方行政協議会が全国九地方に設けられると、北海道にも道庁長官を会長とする会が置かれた。さらに二十年になると、全道(含樺太)の官公署を指揮する北海道地方総監府が設置され、道庁長官が総監に就任したが、実効をみぬうちに敗戦となった。 とはいえ日中戦争後、道庁業務を軸として多くの統制機能が札幌に集中した意義はきわめて大きいといえる。 |