第八編 転換期の札幌
第二章 市制施行と行財政
第二節 行政機関の整備
一 札幌市の誕生
市域は区制期の行政域をそのまま継承した。区制施行時の行政域は市史第三巻四三頁(以下「区図」と略)にあるが、その後白石村、豊平町、藻岩村、札幌村、琴似村と境界変更したため(市史第三巻一一七頁)、市制施行時における市域は図1の通りである。
![]() 図-1 札幌市の区域 これをもとに札幌市の境界を北辺から西方に向けてみていくことにする。図1のアの地点は創成川と北区北二七条の交点で、イとともに市域の北端である。このあたりは市の北辺でその北側は琴似村となる。北二七条の延長と琴似川との交点イから、同川の上流へ向けてさかのぼり、JR函館本線付近で無名川を合わせるが(ウ)、ここは区図イと同地点で市の西端にあたる。その無名川を水源までさかのぼると中央区北一条西二〇丁目に至り、西二〇丁目道路を中央区南一三条まで南下し(エ)、旧山鼻兵村と旧円山村の境界を藻岩山麓のせまる中央区南三一条西一一丁目(国道二三〇号石山通り)に至る(オ)。ここが市の南端で、イからオが市の西辺をなし、琴似・藻岩両村に接している。この道路を横切る馬頭川(山鼻川)にそって豊平川との合流点に至り、そこから豊平川を下流へ向かい幌平橋の下流地点に至る(カ)。ここから東側に折れて豊平川右岸に渡り、水車町・旭町と平岸の境を東進し、平岸街道(道道札幌支笏湖線)に合して、さらに平岸と豊平の境を東進すると現在の豊園通りにぶつかる。さらに豊平と平岸の境を南下し、米里行啓通りの接するところがキである。そこから米里行啓通りにそって東北通り、すなわち現豊平区と白石区の区界(ク)に至り、東北通りを区界にそって北西に進み、豊平一条八丁目で白石区東札幌と菊水の境に達する(ケ)。オからクにかけての一帯は豊平町と隣接し、ク・コ辺が東端に位置する。 ここで東に折れて白石区に入り国道一二号に至り(コ)、国道一二号にそって豊平川まで達する。このあたりは白石村と隣接している。国道一二号と豊平川の接点と、東区苗穂丘珠通り(苗穂町と条丁目の境)がJR線路にぶつかる点を直線で結んで、その東側を市域とする。ここから現東区で、苗穂丘珠通りの延長(苗穂通り)が北一三条北郷通りと合する点(サ)から、北一三条北郷通りを北西に進み、現法国寺横の旧道を通って伏籠川を渡り、北一三条東一六丁目北札幌農協に至る(シ)。ここから旧大友堀跡にそって西進し、東区北一一条東七丁目までくると角に東区役所がある。区役所北側にあたる北一二条と北一一条の境をなす道路を東へ向かい、創成川と合する地点がスで、区図のクと同一地点である。ここから創成川にそって北進し、出発点のアに至る。この一帯が札幌村と隣接しており、市域の東北辺を形成している。 市域の面積は『札幌市統計一班』(大11年版)によれば、一・四六方里(六八〇万八三一八坪、約二二・五平方キロメートル)である。市境界の周囲延長は六里三四町(約二七・二七キロメートル)、極東―極西間の距離は一里一三町二五間(約五・三九キロメートル)、極南―極北間の距離は二里二町二五間(約八・一一キロメートル)である。 位置は北緯四三度三分(昭和二年より四分と標示)東経一四一度二一分で、その市役所位置は「札幌市北一条西二丁目一番地」と定められた(札幌市告示二号 大11・8・1及び札幌市公報二 大11・12・25)。ここは明治四十二年八月十日区役所位置としたところで(札幌区告示五六号 明42・8・10)、以後新庁舎移転まで継承したから、区役所から通して二七年八カ月余ここに位置したことになる。これの移転は、昭和十二年四月二十三日付札幌市告示六二号により、「札幌市北一条西四丁目二番地ノ一及同二番地ノ五」とされ、現庁舎への移転に至る昭和四十六年十一月まで、ここを市役所の位置とした。 前掲の統計一班によれば、平坦に見える市域も高低差がいちじるしく、最高位置は南端(図1―オ)の一七一尺六三四(約五一メートル)、最低は元村町の四二尺二六三(約一二メートル)で、その差は約一三〇尺(約三九メートル)である。なお、市役所では大正十四年、市内四〇カ所の水準点に測量の基準となる標石(八垂別地内石山硬石をコンクリート台に埋める)を設置し、その個所は表1の通りであるが、統計一班の水準高と違いがみられる。
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