札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第一〇章 国家神道と宗教の展開

第一節 国家神道と神社

二 市内と諸町村の諸社

 札幌市を含めた諸社の社格昇進は表1の通りであるが、札幌村は丘珠神社、篠路村は篠路神社が唯一の官社として「村社」の役割をはたしていた。ただ札幌村の場合、昭和九年に札幌市との境界変更によって札幌村、苗穂神社札幌市に入ったので唯一の官社になったものである。無格社の三社が競合していた当時の大正五年九月、丘珠神社を奉斎する丘珠地区では部長の三積與惣治などの発起人によって、「我丘珠神社ヲ村社ニ昇格セラルヽ様其筋ニ請願致度」と運動が起されているが、その原因は以下のように述べられている(丘珠神社昇格請願ニ関スル趣意書)。
此頃仄カニ承レバ元村ニ於テハ神社移転及改築ノ問題起リ着々奔走中ノ事ト伝聞ス。果シテ事実トナリセバ将来ハ村社ニ昇格運動ヲ為スハ是又明ラカナリ。其際ニ於ケル官庁ノ意見ハ如何ト云フニ地理上、将(はた)行政上必ズ元村神社ヲ以テ村社ニ認可ヲ与フルハ明ラカニシテ、官庁ノ施政方針トシテモ実ニ可然事ト信ス。(略)現在ノ如キ立派ナル神社ヲ有シナガラ村社ノ資格ヲ元村、或ハ其他ノ部落ニ奪ハルヽ様ノ事アリテハ折角ナル氏子諸君ノ尽力モ、水泡ニ属スルナキヤト懸念ノ余リ茲ニ協議ヲナシタキ……

表-1 諸社の社格変遷表
神社名所在地無格社村社郷社県社
三吉
豊平
弥彦
諏訪
札幌
苗穂
稲荷
札幌市南1西8
同 豊平町4-13
同 南7西1
同 北12東1
同 北14東14
同 苗穂町
円山町大字山鼻村
明13年12月2日
明22. 2

明31. 2 .14
明34. 9 .30
明30. 8 .27
明31. 3 . 9
明15.10.31
大 8 . 1 .24
大11. 8 .24
昭 9 . 4 .19


大 8 . 8 . 5
明30. 2 . 4
昭18. 5 .28
昭13.11. 1



昭16. 3 .26
昭 5 . 4 .30
丘珠札幌村丘珠明25.10.28昭 4 . 5 . 2
篠路篠路村字キウス明34. 9 .25昭 2 . 8 . 1
山口
西野
手稲
手稲村大字山口村
同 大字上手稲村
同 大字下手稲村
明35. 9 .17
明32. 1 .28
明32. 5 .18
昭18. 6 .28
昭 4 . 1 .10
大 6 . 8 .23


昭16. 4 . 1
江南
琴似
新琴似
発寒
琴似村字兵村
同 字琴似
同 字新琴似
同 大字発寒村
明30.11.15
明30. 6 .18
大 6 . 3 . 3
明32. 5 .19
明43.12.15
大 4 .11. 8
大14. 7 .18

昭19. 9 . 6
白石
信濃
大谷地
白石村本通
同 厚別
同 大谷地
明30. 9 .10
明30.10.21
明30. 9 .30
大 9 . 9 . 6
昭 4 . 7 .23
 
月寒
厚別
相馬
花岡
豊平町大字月寒村
同   同
同 大字平岸村
同   同
明33. 9 . 7
昭 5 . 9 .11
明41.11.27
大 4 . 3 .15
大 7 .11. 8
1.社格の公認日は主に神社明細帳による。
2.『札幌の歴史』(15・16号),『札幌宗教関係書類』,「札幌市史編集資料」及び一部新聞報道より作成。

 ここでは元村(札幌村)神社の移転と「村社ニ昇格運動」が結び付けられ、逆に丘珠神社が「村社ノ資格」を喪失する危機として受け止められていた。このために「丘珠神社昇格請願ニ関スル費用ノ予算」として二〇五〇円を計上し、基本財産の積立金、社殿改築などの費用に充て村社となし、「一ハ敬神ノ信念ヲ厚クシ、一ハ年来諸君ノ希望モ貫徹スル事」とされていた。実際に元村神社が移転した形跡はないが、札幌村内で最大勢力をもった丘珠地区の体面を保持するためには、丘珠神社の村社昇格が不可欠であったのである。
 丘珠神社はその後、昭和四年五月二日に村社に認可となり、六月十九日に神饌幣帛料供進社に指定され、名実ともに札幌村の「村社」の地位を獲得する。
 おそらく他の村でも「村社」をめぐる綱引きが展開されていたとみられる。たとえば、琴似村には兵村の伝統を受け継ぐ琴似、新琴似、江南の三つの村社が存在していた。その中でも琴似神社は、昭和十七年二月に琴似の町制施行により「町社」の位置を獲得することになる。琴似神社では昭和天皇の行幸記念事業として社務所の改築に着手し、昭和十一年九月二十日に落成奉告祭が行われ、また皇紀二六〇〇年記念事業では斎庭を中心とした境内の整備事業を行っていた。そして基本財産として琴似兵村会より八三町三反歩の寄付を受け、十九年九月六日に郷社の昇格をはたすこととなる(十月一日に昇格奉告祭)。
 各町村では住民の精神統合、敬神思想の普及などの目的で官社の保護を行う一方で、〝町村格〟が「町村社」の社格に直接的に結び付いているために、諸町村や所在地区ではその昇進運動や社殿造営も、上述してきた通りさかんに行われていた。ただ、町村内や地域の事情や神社の規模などにより一社だけを「町村社」とする場合に至らなかったケースもみられる。特に白石村では白石、信濃、大谷地の三社が存在していたが、白石村では本通を中心とした本村と厚別方面が何かと拮抗することが多く、白石、信濃神社をともに村社のままで維持していた。手稲村では上手稲、下手稲、山口の旧村ごとに三官社が存在していたが、開村七〇年を迎えた昭和十六年に手稲神社を郷社とし「村社」化をはかっている。