札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第一〇章 国家神道と宗教の展開

第一節 国家神道と神社

二 市内と諸町村の諸社

 札幌市の鎮守神の役割をもっていたのが三吉神社であった。三吉神社は大正十三年四月七日に、例祭日を五月八日より十五日に変更許可となったが、大正五年以来、例祭日には市内小学校が休業し参拝することとなっていた(明細帳)。三吉神社では昭和三年十一月八日に御大典記念事業として県社への昇格を出願したが、「神社昇格願」に添付された「具申書」には、その理由を以下のように記している(社寺関係書類 昭5)。
全道各市ニハ各県社ヲ有シ其他ヲ合シテ (ママ)社現在スルニ、独リ札幌市ハ率先シテ其栄誉ヲ担フベキ筈ナルニ、道内五十有余ノ一タル郷社ニ甘ズルハ啻ニ氏子ノ不面目ナルノミナラズ、延テ敬神ノ美風ヲ傷フ所以トシ多年ノ恨事トスル所ナリシガ、本年挙行セラルヽ曠古ノ御大典ヲ記念トシ昇格ノ恩典ニ浴シタク、数年前ヨリ計画セル難事タル境内ノ拡張ト基本金七千円ノ増成ニ黽(つと)メ候、殊ニ今ヤ思想ノ動揺ヲ痛歎スルノ時、当市ノ如キ北方文化ノ中心トシテ稍モスレバ異国ノ悪思想ヲ逐フテ、学者其学ニ惑溺シ富者其富ニ沈酔セントスル危期ニ際シ、益々敬神崇祖ノ国風ヲ宣揚シ皇国ノ万歳ヲ祈請シタキ氏子一同ノ赤誠ヲ御諒察御嘉納被下度。

 すなわち、札幌市には県社が存在しないことが「氏子ノ不面目」「敬神ノ美風ヲ傷フ所以」とする「多年ノ恨事」であり、この年の御大典記念事業として申請したことを述べ、これにより「益々敬神崇祖ノ国風ヲ宣揚シ皇国ノ万歳ヲ祈請」することとされている。道都であり「北方文化ノ中心」である札幌市に県社がないことが、市の体面上にも関わっていたようであり、札幌市でも、
該神社ハ明治十二年ノ創立ニシテ当市ノ中央地帯ニ位シ市民ノ尊敬厚ク、県社昇格ハ氏子年来ノ希望ニシテ維持方法モ確実ト被認、御大典ニ際シ昇格セシムルハ意義アル事ト被存候

と道庁に副申していた。
 この申請に対して内務省では、「本殿覆舎並神饌所ヲ神社ノ建物トシテ相応シキ形式ニ建築」などの指示を出し、これを受けて三吉神社では改修工事を実施した上で五年四月三十日に県社昇格が許可となった(道内では一二番目の県社指定)。五月十四日に昇格奉告祭が行われ、続いて十五日の本祭は、「御輿の渡御や奉納幟や軒神灯、夜は手踊り電飾の街」という具合に(北タイ 昭5・5・16)、昇格を祝って賑やかに盛大に執行されていた。例祭は五月十四日夜の宵宮から十六日までの三日間であり、市内では一番早い時期に行われ、祭りシーズンの到来を告げるものであった。例祭には御輿が十五日に市内北部、十六日は南部、豊平、白石を巡幸していた。南一条通には露店が並び、大通公園の九丁目には舞台が設けられるなど賑わいをみせていた。

写真-3 北海タイムス社の武運長久祈願神社早廻り競争
本社前がスタート・ゴール地点で,壮年組は小樽協会,青年組は北大,少年組は光星Bが優勝した。
各3人1組で北大は1時間5分43秒のタイム。