札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第一〇章 国家神道と宗教の展開

第一節 国家神道と神社

一 国家神道と札幌神社、護国神社

 諸町村での英霊祭祀は主に忠魂祭として行われていた。日露戦争後に戦没者をまつり慰霊する忠魂碑が各町村に建碑されるようになるが、最初に建碑したのは屯田兵の後備役として出征し七人の戦死者を出した新琴似兵村であり、明治四十一年五月二十日に建碑されている。続いて篠路兵村で四十二年七月十五日に江南神社内に建碑され除幕式が行われていた。四十三年十一月以降、各地に在郷軍人会が組織されるにつれ、忠魂(招魂)祭の執行に必要なために建碑が盛んとなり、琴似村(琴似神社境内、大正二年六月二十九日)、豊平町(月寒公園内、四年九月十九日)、手稲村(手稲神社境内、七年七月六日)、豊平町厚別(厚別神社境内、同七月七日)、白石村厚別(信濃神社境内、九年九月十五日)、豊平町石山(石山神社境内、九年)、札幌豊平町(豊平神社境内、十年九月十二日)などに設置されていった。
 忠魂碑の保存、忠魂祭の執行は主に在郷軍人会(団)によってなされていくが、忠魂祭には町村役場、青年団、愛国婦人会、赤十字社、小学校児童なども参与し、戦没者を慰霊すると同時に軍国主義下における愛国心養成の役割をはたしていた。
 歩兵二五聯隊では昭和九年四月二十八日に、同隊の戦死者一五〇四体を合祀した忠魂納骨塔を月寒干城台に建設し、その完成の除幕式が行われている。
 名誉の戦死を遂げた戦死者に対しては、市町村が主催する公葬が行われるようになる。手稲村では十二年九月一日に、上手稲小学校で「無敵空軍の人柱」となった金森義光兵曹の村葬が、星野毅村長が祭主となって神仏両式で執行され、官公署、団体、小学校生徒など七〇〇人が参列していた(北タイ 昭12・9・2)。他の町村でも葬儀委員長には町村長がつとめていたが、新聞報道にも十三年以降、年を追う毎に公葬記事が多くなってくる。札幌市では当初、銃後後援会や在郷軍人会の共催によって公葬が執行されていたが、十五年から銃後奉公会が主催する市葬として公会堂で行われている。