札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第4巻 通史4

第八編 転換期の札幌

第一〇章 国家神道と宗教の展開

第一節 国家神道と神社

一 国家神道と札幌神社、護国神社

 昭和十年代に入ると、日本は大陸への拡大策を進め戦争も激化していくようになる。十二年七月の日中戦争以降は神社にて頻繁に祈願祭、奉告祭が行われるようになってくる。開戦とともに十二年八月一日には札幌神社では国威宣揚祈願祭が執行されたが、十八日には札幌市主催の国威宣揚と武運長久の祈願祭も行われている。この日は官公署、各学校、婦人会、青年団、会社、工場の代表、それに一般市民を加えた約一〇〇〇人が参会して行われた(北タイ 昭12・8・19夕)。さらに九月からは戦争の遂行のために国民精神総動員運動が開始され、大規模な国民教化運動が展開されていくようになる。
 この時期の札幌神社の様子につき『北海タイムス』は、以下のように報道している。
緊張した日支の情勢を反映して最近の札幌神社は武運長久を祈願する民草の一群で一段と厳粛な空気に満ちてゐる。個々の参詣者は毎日五百名を突破し、団体参詣者の数も相当多く、この頃の傾向としては青年が多数を占めているのも非常時風景にふさわしく、強固な銃後の守りを高かに示してゐる。此外小学児童の朝詣りも頓に増加し、小(ママ)国民の涙ぐましい祈願は真に挙国一致の赤誠を吐露してゐる。
(北タイ 昭12・7・27)
 支那事変勃発以来聖戦茲に三月、三百万道民の総鎮守札幌神社に日毎祈願する人々は非情な数に上り、武運長久の護符も既に三万個頒布してゐる。(略)先月末より出征兵家族で武運長久を祈願するものには神前で無料の記念撮影を奉仕し戦地の勇士へ送って慰問の一助にしてゐるがこれ又好評で喜ばれてゐる。
(北タイ 昭12・10・10)

 このように社頭の風景は軍事色を増すようになっており、また札幌神社では十月十五日より戦地の勇士、遺家族に配布する月報『北海だより』を刊行するようになっている。同年十月十七日の神嘗祭には支那事変奉告祭も行われていたが、この日は国民精神総動員強調週間の五日目「神社参拝、殉国勇士を讃へる日」となっていた。十二月十五日には札幌、三吉、諏訪、招魂社で南京陥落奉告祭と皇運長久祈願祭が行われていた。

写真-1 戦時色を強めていく札幌神社の社頭風景

 三吉神社の例祭でも十三年五月からは宵宮の十四日に銃後後援会、在郷軍人会、婦人会などが参列して武運長久祈願祭が行われるようになり、札幌神社の例祭では十四年六月より全道の市町村長、小中学校長が参列することとされ、十五日には札幌市、円山町琴似町出征軍人家族が参会しての武運長久祈願祭も加えられていた。豊平神社では十三年八月以降、毎月一日が国威宣揚、皇軍武運長久祈願祭が執行されるようになっていた。
 十五年二月十一日には、札幌神社にて皇紀二六〇〇年記念大祭が盛大に挙行され、太平洋戦争が開戦すると十六年十二月十日には米英膺懲必勝札幌市民大会の参会者約三〇〇〇人が参拝しての米英膺懲祈願祭(ようちょうきがんさい)、二十日に宣戦布告奉告祭などが行われ、社頭にも決戦の雰囲気が充満していった。十七年からは毎月八日に各社では大詔奉戴必勝祈願祭が実施されるようになり、敗戦が必至となる二十年となると、伏敵撃攘必勝祈願祭などと過激な祭名で呼ばれてくるようになる。