第七編 近代都市札幌の形成
第一〇章 宗教活動の社会的展開
第二節 寺院と「市民仏教」の展開
二 日露戦争下の寺院と仏教
開戦から一〇日後の二十日に、「日露開戦に付緊急国民に告る所あらんとして」各宗仏教聯合会の主催による仏教演説会が新善光寺にて開催された。当日は観音経の読経、君が代の奏楽、開戦詔勅の捧読、万歳三唱の後演説会に入り、
「暴悪なる宗教は暴悪の国を造る」 田中朴山(叡山教会太子講主) 「破諸魔軍」 高野瞬全(北海寺住職) 「勅語と仏教」 林玄松(新善光寺住職) 「勇猛精神」 奥田教正(本願寺派布教使) 「殺人刀活人剣」 丹羽月渓 「国家と宗教との関係」 三牧良慶(東本願寺輪番) 以上の六演説が行われ、「何れも宗教と戦争を引用して露国の不法を熱心に論じ、時節柄聴衆は何れも傾聴、拍手満堂崩るゝ計りなりき」であったと報道されている(北タイ 明37・2・23)。主催した各宗仏教聯合会は、「仏教各宗檀信徒の聯合を以て組織」され、「無比の国体を擁護し仏教の真理を発揚する」ことを目的として、明治三十二年五月二十日に発会式を挙げて創設されていた(北タイ 明32・5・21)。日露戦争中は「無比の国体を擁護」するために特に活発な活動を繰り広げていた。 同会のほかにもたびたび仏教演説会が開かれており、また法会、追吊会、葬儀などの場の説教でもロシア、キリスト教に対する敵愾心と皇国意識が鼓吹され、戦意高揚がはかられていたのである。 |