第七編 近代都市札幌の形成
第一〇章 宗教活動の社会的展開
第二節 寺院と「市民仏教」の展開
一 寺院・仏教と地域社会
当時は各寺院では様々な仏教行事が盛んに行われていたが、いま明治三十年代の札幌区で市民行事や名物ともなっていた行事には、以下のようなものがあった。なお祭日は旧暦日にあわせて実施されており、新暦となったのは各宗寺院聯合会で申し合わせをした四十三年以降である。
1月27・28日 成田山新栄寺 春季祭 2月4日 成田山新栄寺 節分撒布式 2月── 玉宝寺豊川稲荷初午祭 5月27・28日 成田山新栄寺 大祭 6月1日 藻岩山開き 藻岩村観音堂 7月9・10日 中央寺金比羅社祭り 7月22~24日 新善光寺聖徳太子祭、子育地蔵祭 8月── 玉宝寺豊川稲荷例祭 9月27・28日 成田山新栄寺 秋季祭 10月1日 藻岩観音の山納め 藻岩村観音堂 成田山新栄寺での例祭には、護摩秘法の後の余興として手踊り、福引、挿花などがあり、屋台店も出るなど縁日としての賑わいをみせていた。当時の札幌の縁日では、三吉神社の他に右記の豊川稲荷、新善光寺、金刀比羅、成田山が有名であった。新善光寺では三十八年六月に、毎月七日を縁日の日と定めている。これらの寺院は薄野遊廓の近辺に集中しており、「面白半分、信心二分、後の三分は色気」といわれ(北タイ 明36・6・3)、〝聖〟〝俗〟の入り混じる光景がみられていた。 ![]() 写真-5 縁日で賑わいをみせた新善光寺(明40頃) その他、釈迦降誕会にあたる花祭りは、各宗寺院聯合会の主催により、各寺持ち回りで実施されていた。盂蘭盆(うらぼん)の八月十四日から十六日には豊平墓地や寺院の参詣で賑わっていたが、盆踊りは三十年代初期は警察の取締りが厳しく、警察官の目を盗んで南七条の水原林檎園、北八条の北海道製麻会社付近で行われた。前者は三十四年には旧盆にあたる二十九日に三〇〇人ほどが参集して行われていたが、やはり警察官に解散を命じられている。灯篭流しは、経王寺の檀徒及び和睦講が川施餓鬼(せがき)として豊平橋上流にて行っていた(北タイ 明32・8・12)。篠路村の龍雲寺でも境内にて手踊り、石狩川にて川施餓鬼が行われている(明35・8・24)。 春三月、秋九月の彼岸会は各寺に参詣客が訪れ、施餓鬼供養も実施されていた。彼岸中は題目講、念仏講の信者が布施を求めて市中を廻っており、西本願寺別院内の札幌婦人教会では手芸展覧会を開いていた。 |