札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第3巻 通史3

第七編 近代都市札幌の形成

第一〇章 宗教活動の社会的展開

第一節 神社と国家神道

一 札幌の神社

 札幌神社の例祭は六月十五日をはさむ三日間行われるが、祭典区をあげての山車行列あり、夜店・見世物ありと、札幌の区民にとって最大の楽しみであった。例祭においては、官幣大社への昇格を機に、明治三十三年から大国魂神・大那牟遅神・少彦名神をいただく神輿が一基から各祭神をいただく三基となり、一〇区が持ち回りとなる年番制が採用された(札幌の寺社)。

写真-2 明治30年代の札幌神社例祭

 札幌神社の例祭は、一人札幌区のみならず近隣の町村にとっても大きな娯楽であった。新聞には「官社線汽車賃割引広告」が掲載され、往復切符が二割引となった(北タイ 明35・6・10)。ちなみに祭り当日に小樽駅、手宮駅から乗車し札幌に来たものは、それぞれ一六九三人、四一三人であった(北タイ 明35・6・18)。
 例祭が大きな転機を迎えるのは四十三年度であり、上白石、苗穂、元村、山鼻、豊平といった周辺地域が札幌区に編入され、区内は合併区ではない一二祭典区に再編された(北海道神宮史 上巻)。確立した一二の祭典区は、四十四年度を例にすると表1の区分であり、祭典区ごとに祭に関わる費用負担の定率化がなされた。
表-1 明治四十四年度札幌神社例祭祭典区
祭典区の区域祭事費用支出の分担額定率山車の種類
1区南1西1より大通西境界まで19・0%龍神
2区南2西1より西境界及び山鼻町の幾部6・5猿田彦命
3区南3西1より西4まで5・0大鯛の張り物
4区南4西1より西4まで,南5西1より南6西1~4まで,遊園地の全部9・0神功皇后
5区薄野遊廓全部5・0天鎦目之命
6区南3新川以西南4全部及び山鼻町第2第3両区の続き場所を除き全部7・0楠正成
7区創成川以東大通以南豊平川西全部11・1源義経
8区豊平町上白石町全部4・0底抜け屋台
9区大通以北鉄道線路まで,創成川以東苗穂町全部10・5素盞之尊
10区大通北側鉄道線路境まで,創成川以西全部14・0村上義光
11区鉄道線路創成川以西全部4・5(未定)
12区鉄道線路以東4丁目まで,及び元村町創成川以東4・5(未定)
『北タイ』(明44.1.26,6.9,6.12)より作成。

 札幌神社の例祭の頃、札幌地域が祝祭の空間と化すさまについて、新聞は「十四日の夜宮十五、十六日の本祭十七日の神輿の御還り迄どんなに賑ふことだらうか、尚それにお祭中に札幌競馬俱楽部の立派な競馬が始ります、豊平は豊平で豊平神社の臨時祭礼がこれも十五日に行(や)ります、丸て盆と正月と一緒に来た様だ、又十四、十五、十六日と花火が沢山揚ります」と伝えた。金光星・玉菊・菊花乱発・変化牡丹・富士の峰などと銘打たれた花火が十五、十六日と計八〇発あげられた。また創成川沿いに所狭しと軒を並べた見世物小屋のうち、申告された興行揚高(三日間の総計)の多いところをあげると、「田中の活動」(七七一円)、「木暮の軽業」(四七五・〇五円)、「石橋の剣舞」(四三三・三円)、「早川の軽業」(三七〇円)、「佐藤剣舞」(二六四・五円)、「福田の怪談人形」(二五三円)といった出し物が盛況で、興行揚高は二三カ所の見世物小屋全体で総計三七二八円一五銭と報道された(北タイ 明44・6・14、19)。
 十四日には宵宮祭が行われ、翌十五日には神事としての厳粛な例祭が札幌神社において執行され、午前九時から石原健三道庁長官が勅使として神饌幣帛料を供す。神事終了後、札幌区の氏神である三吉神社に、揃いの服装の各祭典区委員が集合する。そのうち四十四年度の年番である第一区の代表が、三基の神輿を札幌神社に迎えにゆく。かくして年番を先頭として、各祭典区代表委員、人力車金棒、神楽囃子、烏帽子狩衣揃えの祭典区の人々、神輿、山車などなどの行列が、三日間にわたり祭典区を練り歩いた。祭りを盛り上げ祭典区の人々が趣向を凝らす山車は、大正七年に一二区すべてが出揃うが、四十四年段階のものは表1に示した。山車の由来については、たとえば「第五区は薄野遊廓で(中略)毎年旧見番(今の元見(もとけん))の踊り屋台が出たもので、今の山車は四十年に高砂楼主が新潟市の佐々木弥忠太といふ人から買って来たので、始めの人形は浦島太郎だったが、今年は鎦女目命(うずめのみこと)になった」とされる(北タイ 明44・6・11~19)。第二次大戦後は一日で終わる神輿渡御の市内のコースも、明治末から大正期は三日間かけて祭典区を回った(鋤柄悦子 新聞記事にみる札幌祭の変遷)。
 札幌神社の例祭は明治期に創られた新しいものであるだけに、札幌神社宮司額賀大直は、「祭典の故実」(北タイ 明45・6・15)について、「大抵の古社には皆夫々歴史的の習慣があり、時代の風俗が残って居ります、我札幌神社の渡御行列などは未古代服装を十分古実に拠って則る迄に至らないのは遺憾でありますが(中略)さういふ方面も厳粛に調べたい」といった発言をし、神事としての厳粛さを「伝統」への回帰によって生み出そうとした。
 大正になると、元年九月十三日の明治天皇大喪、三年五月二十四日の昭憲皇太后大喪と連続する諒闇があけて、大礼の年大正四年度には盛大に札幌神社の例祭が執り行われた。十四日の宵宮では、新たに年番区ならびに祭典区の有志の灯篭行列が光の列をつくるし、神社の拝殿では新規に蟇目の神事や神楽が行われた。神輿渡御にも大名行列が加わった(北タイ 大4・5・28)。