第七編 近代都市札幌の形成
第九章 さまざまな文化活動
第三節 出版文化と新聞
一 出版文化の興隆
出版文化を広めるのに書店が果たした役割は大きいが、それも印刷会社の働きを抜きにしては語れない。第三の要素、印刷技術の存在である。この時期、印刷工場もかなり増加した。
明治十年に開拓使の印刷所が札幌に移されて、札幌活版所となったことは前述のとおりである。それ以後出版文化は徐々に発展していったとはいえ、二十年代までの出版物のほとんどはまだ東京の印刷会社に依る所が多かった。しかし、三十年代も後半になると札幌でも印刷会社が建ち始め、地元で印刷が行われるようになった。明治三十二年から大正十一年までの印刷会社の工場は表5のとおりである。これらの工場は『札幌区統計(書)』及び『札幌区統計一班』の記述に拠ったものであり、途中記載されなかった工場が再び登場するなどして、創立年については多少正確性に欠けるところがあるが、当時どれほどの印刷工場があったのか知ることはできる。
このうち、山藤活版所は三十九年に「戦後各事業ノ発展ニ伴ヒ印刷物ノ増加ハ自然ノ結果」(北タイ 明39・10・31)として印刷機械の増設を計画し、同年十月初旬より設備が完成し、従来の倍以上の製造力となった。また、『札幌商業会議所報』一〇号の広告によると「諸官庁銀行会社御用達」でもあったようである。 この他、北海石版所も比較的早くから活躍しており、持主である本間清造はのち札幌印刷業組合の組合長をつとめた。 以上、出版が発達するための三つの要素について述べてきたが、三要素のそれぞれが発展したことにより、札幌の出版文化もここに至ってようやく形が整ったといえる。 |