札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第3巻 通史3

第七編 近代都市札幌の形成

第七章 社会生活の変貌

第五節 博覧会と市民生活

三 開道五〇年記念北海道博覧会

 道博開催予定地札幌区は、道博準備が次第に進行するなかでさまざまな問題が浮上してきていた。一つは道路交通問題であり、二つ目は来観者を収容する宿泊施設の問題、三つ目は道内外から多くの来観者が集中するにあたり、伝染病等を防止する衛生上の問題、四つ目は札幌駅から会場までの市街美観上の問題などであった。
 一番目の道路交通の問題は、まず札幌駅と第一会場の中島公園へ来観者を輸送する手段として、札幌電気軌道株式会社がこれまでの市街馬鉄を電車の運行に切り換える準備中であり、七年八月の開催までに開通予定であった。このほか自動車二〇台ほどが会場との間を往復することになっていた(北タイ 大7・7・26)。しかし道路改良の問題は、融雪期の悪路が長年にわたる課題であるにもかかわらず、上下水道敷設が先決として見送るほかなかった。
 二番目の宿泊施設問題については、六年春から旅館の新築・増築がなされたものの、全員を収容するのには無理があった。そこで札幌区長阿部宇之八は、当区在住者のうち比較的設備のある家ごとに、出身地を同じくする来観者を割り当てる方法を提案するのだった(北タイ 大7・1・1)。しかし区協賛会では、地方からの団体観覧者のために、区内の豊水・西創成両小学校を共同宿泊所に指定、宿泊収容することを決議した(北タイ 大7・6・9)。
 三番目の衛生上の問題については、六年九月札幌防疫会を発足させ、伝染病予防撲滅を図るため強力な組織づくりを開始した。折から腸チフスをはじめ種々の伝染病の蔓延が懸念されていたからである(北タイ 大6・9・7)。事実、道博の陳列装飾顧問として来札していた菅野真(すがのまこと)は、七年六月聞いたと見たとは大違いのいたるところに塵埃やら落書の不潔きわまりない札幌の実状を見て、札幌を模範都市にするには上下水道のような根本的大問題をはじめ種々施設を要するものもあるが、一朝一夕には不可能であるので、まず区民が公共心や自治心を重んじ互に掃除整頓が焦眉の急務といった談話を発表する始末であった(北タイ 大7・6・21~22)。区では臨時清潔法を実施し、市街目抜通はもとより裏通まで清掃につとめる一方、塵芥運搬迅速をはかるため馬車一日五台を配置したり、枢要な街路の馬糞その他清掃人夫一〇三人を増員、また街路散水のために一四人があたった(北タイ 大7・10・5)。
 四番目は、未曾有の道博開催にあたり、札幌の市街の店頭装飾や看板の改善修理を実施しようというもので、五年十一月札幌区役所より各祭典区代表に申し渡された(北タイ 大5・11・5)。そして、いよいよ開催が迫った七年五月、札幌市街装飾が道協賛会や札幌区土木課と再三協議の末決定した。それは札幌駅前と大通間の両側に二六基の装飾電灯を施し、さらに第一会場の中島公園にいたる間を各種装飾で壮麗に飾り立てた。それに加え、札幌駅前には間口一六間(約二九メートル)にまたがり高さ六〇尺(約一二メートル)のアーチ三個を組み合わせたルネッサンス式の歓迎門が、札幌区協賛会により工費四七〇〇円余で落成した(北タイ 大7・8・3)。しかし、この市内装飾実施の陰には、前述の装飾顧問で「店頭装飾」の指導を行った菅野真のように、札幌の場合美しく飾るよりは都市の美観にも衛生にもかなう方法として、区内清掃の励行を強く唱える人物がいたことは注目しなければならない(北タイ 大7・6・4)。
 ともかく、道博はいくつかの問題をかかえながらも八月一日の開会式目指して急ピッチで工事は進行していった。お陰で札幌の大工・左官等職人は引っ張り凧で払底し、賃金は値上がりするばかりであった。市街は装飾が施され、博覧会ムード一色に塗りつぶされた。そして、会期中売出しの絵葉書もできあがった。

写真-21 開道五十年記念北海道博覧会絵葉書
中央は開拓の女神で、右手に北門の鎖鑰を開く鍵を握っている(札幌市文化資料室蔵)。