札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第3巻 通史3

第七編 近代都市札幌の形成

第七章 社会生活の変貌

第四節 都市化と市井の不安

四 火事と水害等

 札幌区になって以来、札幌区・村におけるおもな火災は表29に示したとおりであった。この表のうち、「大火」と名乗る火事は九件もあり、一度の火災で一〇〇戸、二〇〇戸をこえる焼失家屋を出した点に、この時期の火災の特徴があったといえよう。特に明治四十年五月十日の札幌警察署等官庁が焼失した火災、四十二年一月十一日の北海道庁庁舎が焼失した火災、さらに大正七年十月二十二日の一一〇戸が焼失した火災について、詳しく見てみよう。

表-29 札幌区・村々のおもな火災

〈明治四十年〉勧工場共益商館の石油ランプが火元とされるこの火災は、札幌警察署札幌支庁札幌郵便局など官庁はじめ銀行、商店、民家におよび、その損害高は二四万四〇〇〇円と見積もられた。焼失戸数は三七〇戸、棟数二一〇、坪数八五〇九坪五勺、焼失石蔵八棟、同土蔵六棟にものぼり、罹災した人びとは、教会や小学校、知人宅を頼って避難するといった状況であった。またこの火災では火元の共益商館で四人も焼死者を出したばかりか、消防組の重軽傷者一六人、警察官の負傷者四人を出すなど、犠牲も大きかった。罹災した官庁は仮庁舎で業務を再開した。しかし、この火災を機に地主家主等の中には地賃値上げを目論む者もおり、札幌区長は事の重大さから、地主家主等を区役所に招き、建設復旧を第一に考え地賃は現状維持とし、罹災者に安心を与えるよう説諭した(北タイ 明40・5・16~20)。そして不燃建築材の使用を強調するのだった。
〈明治四十二年〉一月十一日午後六時四十分、道庁庁舎下層印刷所の煙筒より出火、火は三層楼を貫き、一一時間後に鎮火した。火災発生の知らせに、月寒の歩兵第二五聯隊は兵卒二〇〇人を、師範学校も生徒三三〇人を引率してかけつけ消火を応援、また負傷者救護のために区立札幌病院や北辰病院の医員や看護婦数十人がかけつけ応急手当にあたった(北タイ 明42・1・12)。
 本庁舎の復旧工事は、翌四十三年六月工費一七万一八五〇円で札幌区篠原要次郎に落札された。この改築工事の際、特に内部を中央と左右の三部に区画し各防火壁を設け、また階上と階下との中間にも鉄桁を渡しその間にコンクリートを詰め防火壁を設けるなど、不燃模範建築として細心の注意がはらわれた(北タイ 明43・6・17)。
〈大正七年〉十月二十二日午後十一時二十分頃、南二条東五丁目の六戸建て長屋より出火、みるみる乾燥した柾葺屋根伝いに火は燃え広がり、水利に乏しいため水はたちまち欠乏し、三八棟、一一〇戸、一四七〇坪を焼き尽して二十三日午前一時に鎮火した。損害高は約四万円にものぼった。この一帯は、日雇業その他職工など労働者の居住する細民街であるため、罹災者の多くは着のみ着のまま逃げたものの、近くの東小学校を避難所として収容され、区役所から炊き出しを受けたり火傷の手当を受けた。罹災児童七六人を出した東小学校では、早速生徒が義援金や物資を募って罹災民や児童に贈っている(北タイ 大7・10・24、11・5)。
 このように、明治後半から大正期中頃までの札幌の火災は、消防態勢の不備をはじめ、石油ランプが原因だったり、道庁の火災のごとく建築上不燃構造になっていなかったり、あるいは木造家屋の密集などで「大火」が相当にあった。その出火の発生回数・焼失家屋および損害高は、表30に示した。
表-30 札幌区内火災発生・焼失家屋及び損害高
出火回数戸数坪数建物損害その他の損害
明4229回263戸4,9815082,214000154,197500
431237694.509,640.00011,609.100
4431131,438.8043,016.0009,783.340
大 114772,132.5026,228.00033,273.000
2261413,003.0028,292.00010,040.000
33646712.004,939.4005,150.500
43157721.501,616.2003,065.000
53131647.002,525.0004,272.700
61023672.004,795.0006,732.000
7112264,235.00118,170.000139,485.000
8
920702,209.50490,708.000187,582.000
1036841,862.00155,945.00048,445.000
1212942,747.0068,842.00079,860.000
1.毎年10月より翌年9月までの期間を示す。
2.11年は不明のため12年分を入れた。但し1月より12月までの期間。
3.『札幌区事務報告』『札幌市事務報告』より作成。