札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第3巻 通史3

第七編 近代都市札幌の形成

第七章 社会生活の変貌

第四節 都市化と市井の不安

三 伝染病と保健衛生

 以上の伝染病のほかに、明治初期にはそれほど問題視されなかったもので、明治末頃から大正期にかけて患者数が漸増してゆく伝染病がいくつかあり、それは次第に深刻な社会問題とさえなっていった。たとえば次にあげる結核、トラホーム、流行性感冒がそれである。
〈結核〉すでに明治前半において全道に広まっていった伝染病の一つ結核は、独自の伝染病対策法が施行されたのは大正八年(一九一九)三月の「結核予防法」をもって最初とする。道内では冬期間長期にわたって雪に閉じ込められ、暖房等の関係から家屋の構造が光線や空気の流通等において衛生上良好とは言い難く、呼吸器系の病気の温床と早くから懸念されていた。すでに明治三十五年五月には、郷土安太郎が三十四年度の総死亡者に対する結核死亡者数が二五パーセントを上回ったことから、「札幌は実に世界第一の肺病地なり」と発表するなど、結核に関して喚起を促す発言をしていた(北タイ 明35・5・8)。
 大正に入ってからは、二年に北海道庁内に結核予防調査委員会が設立され、結核撲滅方法について対策を練った(北タイ 大2・3・27)。この時期、札幌区における結核死亡者数が漸増してきていたからである。四年の場合死亡者一八五五人のうち結核死亡者は二九九人、一〇〇〇人比にすると三・五九人(北タイ 大5・6・7)に相当した。五年の場合においても病症別死亡者数一九五八人中、一位は肺結核二八三人、二位が消化器疾患二四三人、三位が脳膜炎二一六人となっており、結核は一旦罹患したらもはや不治の病とされ、青壮年者を多く死に至らしめるため、社会問題となりつつあった。
〈トラホーム〉トラホームも明治前半においてすでに全道において蔓延していたが、結核と同様、伝染病対策法としての「トラホーム予防法」が制定されたのは大正八年三月のことである。
 それ以前から、まず小学校児童の健康診断や徴兵検査において診断され、驚くべき罹患率を示していた。たとえば明治三十九年札幌支庁管内徴兵検査において、検査人員一〇九〇人中トラホーム患者四〇〇人といった、百分率にして三六・六九パーセントにもおよんだ(北タイ 明39・7・7)。検診にあたった軍医によれば、トラホーム患者は不合格者となってしまうため、兵役に服す人員確保のため軽症者を止むを得ず乙種合格として確保しなければならず、トラホームという一疾病のために戦わずしてすでに国家の敗北であると述べる始末であった。これは徴兵検査の対象となった壮丁(成年に達した男子)のみならず、その家族にも蔓延著しいことはいうまでもなかった。
 札幌区においても四十年八月、四つの衛生組合二九〇四戸、一万三六三人を検診した結果、三〇・二七パーセントが罹患していることがわかった(札幌区事務報告書)。トラホーム検診は四十一年まで衛生組合数区ずつで継続して実施したが、途中中絶し、大正五年から検診を再開した。トラホームは俗に「貧民病」と呼ばれ、下層民に多数蔓延するとされていたが、年々数区の衛生組合および会社単位で検診していった結果、大正十年においての検診では、帝国製麻会社社員の罹患率は四〇パーセントにもおよんでいることがわかった。また、蕎麦屋・飲食店・理髪業といった職種に多く罹患者がいることから、札幌区では厳重注意を呼びかけた(北タイ 大7・5・21)。
〈流行性感冒〉大正七・八・九年の流行性感冒は、第一次世界大戦が進行してゆくにつれ、大正六年頃よりスペインに始まる世界的ないわゆるインフルエンザの流行となり、七年日本にもこれが入って大騒ぎとなった。七年、開道五〇年記念北海道博覧会が終了して一カ月がたった十月末頃より、旭川、札幌、函館方面で漸次蔓延の兆候が認められた。札幌においても十一月一日現在、区内庁立高女、中学校および小学校で流行性感冒による、あるいは疑いがある欠席者は一八八〇人にも達し、余儀なく休校に追い込まれた。このため北海道庁は感冒予防の通牒を発し注意を促した(北タイ 大7・11・3~5)。十一月中旬に入ってもますます猖獗をきわめ、死者が続出した。札幌区民や村々の人びとの心胆を寒からしめた流行性感冒も、九年二月頃からようやく下火となりほっと胸を撫で下ろさせた。七年十一月中には、一日に流行性感冒や肺炎で死亡する者が多いときには一六人にものぼり、その他の病名で死亡する者と合わせ、豊平火葬場へ通じる豊平街道は棺桶の行列をなし、火葬場が込みあって大騒ぎするほどであった(北タイ 大7・11・19~23)。流行以来七年十一月末現在札幌区役所調査による流行性感冒関係の死者は、急性肺炎二一六人、流行性感冒二七人、心臓麻痺一〇人、肺結核三七人と二九〇人にものぼった(北タイ 大7・12・25)。札幌郡(豊平町、篠路・白石・札幌・手稲・琴似各村のほか広島・漁・江別各村も含む)では二五四人にも達している(北タイ 大8・1・9)。流行性感冒は、八年三月一旦終息したが、同年十二月から翌年二月にかけて月寒の歩兵第二五聯隊をはじめ札幌区内で大流行し、九年一月中の区内死者は二〇九人にもおよんだ。この頃になってはじめて流行性感冒の予防接種が実施されるに至っている(北タイ 大9・1・30)。