札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第3巻 通史3

第七編 近代都市札幌の形成

第七章 社会生活の変貌

第二節 職業の安定と貧困問題

二 社会事業の公共化

 同園は、はじめ創立者山谷源治郎の名をとって山谷孤児院と呼ばれたが、明治三十七年札幌孤児院(南3西8)と改称された。山谷源治郎は、孤児、貧児、棄児の救済を目的に孤児院を創立、三十八年には南七条西一丁目に移転、慈善演芸会や篤志家の寄付金を募って運営にあたっていたが、三十九年八月の慈善会で得た寄付金をもとに、中島遊園地内の建物を購入移転した。しかし、四十年以降の物価高騰のため経営は困難をきわめ、慈善音楽会や篤志家の寄付による経営は限界に達した。そこで四十三年内務省より社団法人組織となる許可を得、名称も札幌育児園と改称した。四十四年五月には、菓子製造業古谷辰四郎の寄付により運動会が開催され、園生二七人の喜びもひとしおだったという(北タイ 明44・5・10)。大正期に入り、内務省より年五〇円の助成金が受けられるようになったが、篤志家の寄付金や春秋の慈善演芸会・活動写真会等を開催して収益金三〇〇円余を経常費に入れるのが通例であった(北タイ 大7・4・13)。十一年には、内務省より育英奨励及び助成金として二〇〇円が下付された(北タイ 大11・2・15)。

写真-4 札幌育児園の演芸会のため街を練り歩く職員(大正中期)