札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

新札幌市史 第3巻 通史3

第七編 近代都市札幌の形成

第六章 社会問題の諸相

第五節 青年団と在郷軍人会

二 在郷軍人会と日本弘道会

 在郷軍人会の活動も、大正期に入ると活発になってくる。その活動を札幌区分会に則してみる(北タイ 大4・2・9)。1毎年の三大節(四方拝・紀元節・天長節)における遙拝式および軍人勅諭奉読式。2三月十日の陸軍記念日の祝典の開催。たとえば大正三年三月十日の陸軍記念日には、一八〇人の参列のもと年に一度の総会があり、月寒聯隊の安田少佐の軍事講話、余興の講談浪花節、祝宴と続く。3招魂祭。なおこの招魂祭にはなるべく軍服を着るように奨励された(北タイ 明44・9・12)。4廃兵および戦死者遺族への保護。5撃剣会、射撃会の開催。札幌区分会では明治四十一年六月の月寒聯隊射撃場における射撃会が、豊平町分会の場合は四十四年九月二十四日の射撃会が嚆矢であった(北タイ 明44・9・16)。6傷疾、疾病の会員の救助、などである。
 札幌の周辺諸村の在郷軍人会の分会の規約としては琴似村のものが残っている(山田文庫)。この規約の第二条には、「本分会ヲ更ニ六個班区域ニ分ツ」とあるが、大正八年九月十日には琴似村分会の班が八班に増設されるので、この規約はそれ以前に取り決められたものであろう(帝国在郷軍人会札幌支部発行『良民』第三五号)。規約では、琴似村分会の事務所を琴似村役場に置くこと、札幌支部の監督を受けるべきこととともに、目的が定められている。
本分会ハ軍人ニ賜ハリタル勅諭ノ精神ヲ奉載(ママ)シ、在郷軍人ノ品位ヲ進メ親睦ヲ醇(あつ)フシ相互扶助シ軍人精神ヲ振作シ体躯ヲ練リ軍事知識ヲ増進スルヲ以テ目的トス

 事業としては以下の項目があがるが、特に五~九の村内の相互扶助機能が詳しい。
一 戦友雑誌ヲ購読セシムルコト
二 毎年三大節ニ於テ遙拝式并ニ勅諭捧読式ヲ行フコト
三 陸軍紀念日、海軍紀念日ニハ祝典ヲ行フト同時ニ軍事ニ関スル懇話会ヲ開キ、撃剣銃剣術ヲ行フ
四 毎年戦死者ノ祭典ヲ行フコト
五 廃兵并ニ戦死者遺族及有勲者又ハ村内出身現役者ヲ優遇スル事
六 会員ニシテ傷痍若クハ疾病ニ罹リ自活シ能ハサル者又ハ災厄ニ罹リタル者アルトキハ之ヲ救助スルコト
七 会員ニシテ死亡シタルトキハ会葬シ時宜ニ依リ其遺族ニ弔慰金ヲ贈リ、又ハ其葬祭ヲ行フコト
八 在営兵卒ノ家族ニシテ救護ノ必要アル者ヲ救助スルコト
九 会員タリシ者ノ寡婦、孤児ニシテ救護ノ必要アル者ヲ救助スルコト
十 本村内ノ壮丁予備教育及軍隊ト現役兵及父兄トノ連鎖トナリ、彼我裨益ヲ図ルコト
十一 本村内ノ少年団ノ拮導及青年団ト連絡ヲ密ニシ相互ノ裨益ヲ図ル事
十二 一般村民ニ軍事思想及愛馬心ノ普及ニ努ムルコト
十三 軍隊行軍演習ニ際シ、之ニ便宜ヲ与フルコト

 また、帝国在郷軍人会札幌支部(札幌区・札幌支庁・空知支庁・室蘭支庁・浦河支庁を管轄)が毎月発行した雑誌である『良民』に掲載された「自大正六年至大正七年度、札幌支部管下分会発展ノ諸状況調査比較表」(大7・11月号)をみることによって、札幌支部は在郷軍人会の何を活動として奨励し、あるいは把握していたかがわかる。そこにあがっているのは、正会員数(大正六年一万四二〇八人)、銃器・剣術防具の保有数、忠魂碑の数(同六八)、赤十字社への入会者数(同一〇〇四人)、雑誌『戦友』(同二一〇八人)『我が家』(同九三九人)『良民』(同九一〇八人)の個人購読数、簡閲点呼の際の在郷准士官以上の参列者・軍服着用者・奉公袋携帯者のそれぞれの人数、徴兵検査時のトラホーム・花柳病の患者数、壮丁志願者・徴兵忌避者・犯罪者数などである。
 最後に、日露戦後の在郷軍人会が社会と軍隊との媒介となる役割に関わって二点指摘したい。第一点は、軍隊が身近なものとして地域社会に入って来たことである。たとえば大正五年十月二十一日には、札幌競馬場における第七師団の機動演習は、「各学校在郷軍人会青年団を初め愛国婦人会将校婦人会婦人矯風会等の各種団体」を総動員して行われる。もう一点は、地域の戦場体験者が排外心と表裏であったことである。明治四十三年十月四日、月寒射撃場における在郷軍人団第二回実弾射撃会を伝える『北海タイムス』は、「今は在郷軍人として筆を持つ人、算盤弾く人、鍬を肩にする人もあれど、元は満洲の野に露助を殪(た)ほし、朝鮮の原にチャンコロの胴腹をフン抜いた強の漢(やから)」といった異民族への差別観に満ち、戦勝の美酒に酔った報道をした。